極端な悲観論が、終末論に結びついて人々の希望を奪ってしまう懸念はある程度理解する。ただ、人々は「理解することの苦痛」を避けて通るものだ(だから「マスクを外そう」が「コロナ禍は終わった」になってしまう)。メッセージは注意深くある必要がある。
インタビューに答えるハンナ・リッチー氏は、気候変動や貧困、飢餓について「大きすぎて解決できない問題だと無力感を覚えていた」と語る。そこに希望を与えてくれたのが、ハンス・ロスリングのデータ分析だった。
そもそも、人は大きすぎる問題をうまく思考できない。だからこそ思考のフレームワークが必要だ。楽観といえば聞こえがいいが、それは「思考する苦痛を避けて通る」ことに非常に近い。
以下、記事から離れた話を少し。
「人は理解する苦痛を避ける」。豊かな側、権力がある側の人ほど。
映画『私はあなたのニグロではない』で、白人の学者が黒人の作家ボールドウィンに「なぜ黒人差別ばかりを強調するのか。黒人の暮らしも良くなっている。前向きに世の中に貢献してはどうか」とお説教する場面を思い出す。
もちろんボールドウィンは反論する。多くのアメリカ人は黒人差別の構造そのものを認めていない。それが多くの黒人を暴力と死に追いやっているのだと。しかし、白人の学者はぜんぜん理解できない。
(続く
なぜ理解できないかというと、理解することには苦痛が伴うからだ——ボールドウィンは、そのように喝破する(なお、これは映画ではなく、本の中の言葉)。
もっと近い時代の別のお話。
トマ・ピケティは『21世紀の資本』で、膨大なデータに基づき「純粋で完全な競争は不等式r>gを変えられない」と立証した(意味は「民間資本収益率rが所得と産出の成長率gを長期的に上回る」「つまり資本家は常に労働者に勝つ」)。
その後に出たスティーブン・ピンカーの『21世紀の啓蒙』は、「経済全体は大きくなっている。不平等は問題ではない」「クズネッツ曲線に従い格差も解消される(これはまさにピケティが大著を費やして否定した学説)」と、ピケティをまったく理解しないままに批判する。そして「楽観的に、理性的になろう」とさとす。
テック富豪ビル・ゲイツは同書を絶賛する。
この絶望感。彼らはピケティを理解することを意図的に拒絶した訳だ。それは痛みを伴い、行動原理の変容を求めているからだ。