以下の記事を元に、「人の認知の偏り」について考えた。
「世界の終わりではない」気鋭のデータ科学者は地球の未来を楽観する
https://mainichi.jp/articles/20240124/k00/00m/040/098000c
有料部分も含めて記事を読んだが、感想は「うーん、そうかな〜?」。
短くいうと、
「気候危機を避けがたい破局だと思いこみ絶望することは、かえってよくない。ハンス・ロスリング(『Factfulness』)を見習って、未来への希望を持ち、持続的な未来に向けて脱炭素を進めていこう」
というお話。
しかし、世の中の多くの人々は「楽観」というところだけを見て安心して「何もしない」道を選択しそうな気もする。日本では「マスクを外そう」という政府のメッセージが、「コロナ禍は終わった」と受け止められた。
この記事で本当に重要なメッセージは、(1) 1.5度目標は絶望的であること。(2) それでも、わずかでも温暖化を避けるための努力は続けるべきであること。なぜなら"わずか0・1度の違いが地球全体への影響や人間の生命を左右するのだから。"
気候変動は、人間を含む多くの生き物の生き死にに関わる問題だ。そこはちゃんと伝わっているだろうか?
(続く
なぜ理解できないかというと、理解することには苦痛が伴うからだ——ボールドウィンは、そのように喝破する(なお、これは映画ではなく、本の中の言葉)。
もっと近い時代の別のお話。
トマ・ピケティは『21世紀の資本』で、膨大なデータに基づき「純粋で完全な競争は不等式r>gを変えられない」と立証した(意味は「民間資本収益率rが所得と産出の成長率gを長期的に上回る」「つまり資本家は常に労働者に勝つ」)。
その後に出たスティーブン・ピンカーの『21世紀の啓蒙』は、「経済全体は大きくなっている。不平等は問題ではない」「クズネッツ曲線に従い格差も解消される(これはまさにピケティが大著を費やして否定した学説)」と、ピケティをまったく理解しないままに批判する。そして「楽観的に、理性的になろう」とさとす。
テック富豪ビル・ゲイツは同書を絶賛する。
この絶望感。彼らはピケティを理解することを意図的に拒絶した訳だ。それは痛みを伴い、行動原理の変容を求めているからだ。