私も、Big Techによる人権侵害など「ITと人権」の話をする前に、「そもそも人権はすべての人の不可侵の権利です」という当たり前の話をする必要性を痛感しました。

印象的な言葉は
「怖いから関わりたくない」——異議申し立てには、まず傾聴を。

「ヘイトや差別扇動にはマーケットがある」——メディアにとって売上、政治家にとって票に結びつく。だからといって差別を助長することは倫理に反する。これは「あしきKPI至上主義」の弊害。

2月20日 16:33まで全文閲覧可能。
人権を「怖い」と敬遠する若者 ジャーナリスト安田浩一さんの危惧:朝日新聞デジタル digital.asahi.com/articles/ASS

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記事の感想から離れて、個人的な思いを。

人権に対する冷笑、嘲笑の傾向がある、という話は困ったものです。「ひろゆき」的センスでは、正論や倫理を唱える言説は笑いの対象になる。だが、そのような言説は理性への反動=反啓蒙にすぎない。

それだけではない。トランプの台頭、Qアノン、Jアノン言説の蔓延、差別言説の流布、"ポスト・トゥルース"——これらは21世紀の反啓蒙といえる。

啓蒙、反啓蒙はセットでやってくる。

理性を称揚した18世紀の啓蒙思想は、人の本質は感情と見る19世紀のロマン主義に押し流れた。理性から人の倫理を導いた18世紀のカント哲学は、まず国家権力ありきと考える19世紀のヘーゲル哲学で上書きされてしまい「マルクスはカントを無視した」(柄谷行人)。人の平等を嘲笑するニーチェはヒトラーに影響を与えた。

対抗するには、21世紀の新啓蒙が必要だ。理性を取り戻さないといけない。(続く

21世紀の「新啓蒙」が必要と唱える動きは複数ある。

アダム・スミスに立ち返って資本主義の倫理を再生しようと考える立場もある。スティーブン・ピンカーは科学的合理主義を復権させようと考える。マルクス・ガブリエルはそれとは反対に、科学的世界観を万能と考える考え方を否定し、カントやフッサールらドイツ哲学の伝統を引き継ぎながら、ポストモダンの「異議申し立て」——ポストコロニアル思想やフェミニズム思想を統合した新しい思想が必要だと唱えている。

私はマルクス・ガブリエルの言うことを100%鵜呑みにはできないと考えているが、「カントの倫理学を見直すこと」「脱植民地主義、脱家父長制」は同意する。科学的合理主義は万能ではないが重要である、というところも同意する。

私のラフなイメージでは、21世紀の新啓蒙とは、カント倫理学の復権と、ポストコロニアル理論、フェミニズム理論、それに科学的合理主義のミックスのようなものになるのではないだろうか。

短くいうなら、「新啓蒙は人権をより強力にする思想」と捉えておけばいいだろう。

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