私も、Big Techによる人権侵害など「ITと人権」の話をする前に、「そもそも人権はすべての人の不可侵の権利です」という当たり前の話をする必要性を痛感しました。
印象的な言葉は
「怖いから関わりたくない」——異議申し立てには、まず傾聴を。
「ヘイトや差別扇動にはマーケットがある」——メディアにとって売上、政治家にとって票に結びつく。だからといって差別を助長することは倫理に反する。これは「あしきKPI至上主義」の弊害。
2月20日 16:33まで全文閲覧可能。
人権を「怖い」と敬遠する若者 ジャーナリスト安田浩一さんの危惧:朝日新聞デジタル https://digital.asahi.com/articles/ASS2J4VHVS26UPQJ008.html?ptoken=01HQ04HQYQPSY5QEYTTPEN894M
21世紀の「新啓蒙」が必要と唱える動きは複数ある。
アダム・スミスに立ち返って資本主義の倫理を再生しようと考える立場もある。スティーブン・ピンカーは科学的合理主義を復権させようと考える。マルクス・ガブリエルはそれとは反対に、科学的世界観を万能と考える考え方を否定し、カントやフッサールらドイツ哲学の伝統を引き継ぎながら、ポストモダンの「異議申し立て」——ポストコロニアル思想やフェミニズム思想を統合した新しい思想が必要だと唱えている。
私はマルクス・ガブリエルの言うことを100%鵜呑みにはできないと考えているが、「カントの倫理学を見直すこと」「脱植民地主義、脱家父長制」は同意する。科学的合理主義は万能ではないが重要である、というところも同意する。
私のラフなイメージでは、21世紀の新啓蒙とは、カント倫理学の復権と、ポストコロニアル理論、フェミニズム理論、それに科学的合理主義のミックスのようなものになるのではないだろうか。
短くいうなら、「新啓蒙は人権をより強力にする思想」と捉えておけばいいだろう。