■ご注意:controversialな話題です。

福島第1原発のALPS処理水放出をめぐる議論を追いかけるうちに、低レベル放射性物質をめぐる議論は、今後数十年の禍根を残すのではないか、と思うようになりました。

2011年の福島第1原発事故では、水素爆発により大量の放射性物質が環境中に放出されました。関東でも放射線量は上昇し、多くの人々が不安を感じていました。当方は、Twitterの早野龍五先生の自主的な線量測定の情報発信を見て、ぎりぎりで「済んでいる場所の線量はICRP(国際放射線防護委員会)勧告の範囲内に収まりそうだ」という見通しを得て、なんとか心の平和を得ました。しかし、納得できなかった人も多かったことでしょう。

そして、今なお続いているのが低レベル放射性物質のリスクをめぐる問題です。

2つの立場があります。立場Aは、ICRP勧告の範囲内の非常に少ない線量なら何も心配はないと考える立場(いわゆる「閾値あり」)。立場Bは、低レベル放射性物質であっても極力避ける方が良いと考える立場。人々がどちらの立場に立つか、これは単に科学の問題ではなく、個人の選択、社会的な合意の問題です。(続く

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なぜ科学ではなく個人の、社会の問題なのか。それは、「何が起こるか」を科学的・実証的に検証するには数十年の時を経てみないと分からないからです。科学の言葉を借りるなら、低レベル放射性物質を「無視してよい誤差」と見る楽観論が立場Aであり、「未知のリスク」と考える慎重論が立場Bです。

日本政府は立場Aです。「非常に低レベルの放射性物質であるALPS処理水を太平洋に放出することには問題がない、とIAEAがお墨付きを与えた」という立場です。英国、米国、イタリアなどの政府は基本的にはこの立場を支持しています。

一方、立場Bで「非常に低レベルの放射性物質であっても、予防原則に基づき環境放出はぎりぎりまで避けるべきである」と考える人々も多い。国連の特別報告者らは「ALPS処理水の放出は人権へのリスク」と警告しました。太平洋の島嶼国では反対運動が起こっています。ドイツの環境大臣はALPS処理水放出に「強く批判」するコメントを出しました。中国も反対する立場です。ハワイ大学マノア校の海洋生物学者であるロバート・リッチモンドは「Nature」誌やBBCの取材で「ALPS処理水の安全性は証明されていない」「汚染の解決策としての希釈は誤りと証明されている」と述べています。
(続く

立場Bを「非科学的」と罵倒する態度は、科学的でも倫理的でもありません。せめて「立場A」の考え方をきちんと説明して説得するのが筋です。それでもなお、前述したように、立場Aは楽観論と、立場Bは慎重論という違いがあり、どうしても納得してもらえない場合もあるでしょう。その場合、異議を無視することは倫理に反します。もっと良いやり方を真摯に考えるべきです。

もっと良いやり方とは何か。具体的には(1)IAEA以外の、日本政府とも東京電力とも利害関係がない団体による継続的な放射線量モニタリングの体制を構築し、多くのステークホルダーに信用してもらう(東京電力は完全な信用を得ていない)。(2) 海洋放出より環境インパクトが低いやり方(候補は例えば蒸発処理、モルタル固化、大型タンク長期保存)への転換。

米国国務省は、日本政府のALPS処理水放出を支持する発表文の中で「IAEAだけでなく地域の利害関係者とも関与していくことを歓迎する」と記しています。つまり「日本政府は、漁協や周辺諸国とも仲良くやらないとダメだからね?」と念押ししています。

この問題は社会的、政治的な問題として解決を図るべきです。「科学的に決着が付いている」として異議を聞かない態度は、平和と人権という世界の原則に反します。

隣国や周辺国の抗議から分かるように、今回の問題の原因は「科学」よりも「公正」「交差性」の欠如です。皆、利害関係者なのに意思決定に参加出来なかったという不満や怒りです。

東電や日本政府の不作為は、環境保護の知識が多少なりともあれば知っているはずの「環境不正義」(environmental injustice)の典型例なのですが、そのことを簡潔に報じたり解説する国内の報道機関は皆無。

農薬問題に関わっている者ですが、こちらも「科学的に安全」派と「不安」派で相容れない状況が長年続いていて、こちらもまさに「科学的・実証的に検証するには数十年の時を経てみないと分からない」なんですよね。
言葉にしていただいて、少しスッキリしました。
賛成派も反対派も、お互いこの点を認識して、議論をしたいですね。

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