Todd, Emmanuel. (1990=1992, 1993) L’invention de l’Europe, Seuil. 石崎晴己訳『新ヨーロッパ大全』I・II 藤原書店

「論理的に言えば、イデオロギーは社会・経済的階層構造に一致するとの立場から出てくる説明モデルと、イデオロギーは家族構造に一致するとの立場から出てくる説明モデルとの間には、たしかに違いはない。<マルクス主義的モデルと人類学的モデルの真の違いは、前者は観察された事実を説明できないのに対して、後者はそれを説明するという点なのである>。共産主義型の革命は、大量の労働者階級を抱えた進んだ工業国には起こらず、伝統的農民文化が共同体型であった国に起こった」2頁

フォロー

「外見とは逆に、人類学的仮説は、人間の自由の新たな考え方へとつながるものだと思う。フロイトと精神分析にとって、個人の無意識の決定要因を知るということは、理性の力の及ばないメカニズムへの隷属へと行き着くべきものではなく、却って高次の自由へと行き着くべきものであった。いかなるものに突き動かされているのかを知ることによって、人は初めて自由になれるのである。人類学的仮説の論理的な立場もこれと同様である。なぜならそれもまた無意識の観念に依拠するからである」3頁

「ポスト産業社会への転換は、フランスやイギリスのように個人主義的土台(核家族)を持つ社会と、ドイツやスイスのように反個人主義的土台(直系家族)を持つ社会とでは異なったリズムで進行する」22頁

「学者の歴史は…社会民主主義を何よりも20世紀の代表的現象として位置づける。しかし、それが支配的勢力となるのは、スウェーデン、ノルウェー、北ドイツ、スコットランド、ウェールズであって、他のところではそれほどでもないということを明らかにするのが肝心なのだ」25頁

「20世紀になると、民族主義と社会主義がすべての国、すべての州に浸透したかに見える。民族主義はもちろん、国家を互いに対抗させる。しかし社会主義は国際主義を標榜し、伝統的に細分化され続けてきた大陸を統一することを束の間夢見るのである。ところがそうなると今度は社会主義そのものが、互いに相容れない4つの構成要素に分解してしまう。社会主義の4つの亜種、すなわち社会民主主義、共産主義、無政府主義、労働党社会主義がたちまち分化し、ヨーロッパを分割してそれぞれの勢力圏とする」28-9頁

「州」はÉtatかなあ…だとしたら、この場合むしろ「国家」で、その前の「国」(たぶんnation=「国民」)と対比させてんじゃないだろうか

「家族制度と土地制度はともに安定性がきわめて高いという点が共通している。この両者が組み合わさって、ヨーロッパの基本的な地理的様相を決定しているのである。各々の地方は、ある家族制度とある農地制度との配合によって性格づけられる。工業化が始まるまでは、多くの地方のたどった運命は、この1組の要因によって説明できた。農村から都市への人口の移動によって、説明変数としての農地制度の重要性は大幅に減少した。これに対して、家族的価値の方は、都市への移住のあとまで永く生き延びている」39頁

「直系家族の制度においては、<世帯の構造>があらゆる場合に3つの世代を含むというわけではない。この複合的家族形態は、結婚した跡取り息子が父親となり、その両親のうち少なくとも1人が存命であるという、発展サイクルの中の1段階に姿を現わすにすぎない。両親が死ねば、3世代を含む縦の構造は姿を消し、世帯は核家族的形態を取り戻す。そして、次の世代の跡取りが子供を持つようになると、この形態は再び失われる、という風に続いて行くのである。アンシアン・レジーム下の典型的な死亡率と出生率を条件としてコンピューターによるシミュレーションを行なったところ、3世代世帯の割合は任意のある時点において3分の1を超えることはない、との結果が出ている」44頁

「都市的環境にあっては、居住空間に融通が効かないことや、賃金制度のメカニズムからして、同居現象にはいかなる正当性も見出せなくなる。しかし3世代の複合世帯が都市において姿を消すからと言って、権威や相互依存という価値が消え去ってしまうわけでは毛頭ない。こうした価値は、金の貸し借りや手を貸し合うこと、住居は別々でも近くに住むこと、孫のお守りと教育を祖父母が受け持つこと、といった他の物質的結果となって現われる。これらの結果は目につきにくいが、現実性において劣るものではない。
…都市的環境にあっては伝統的家族形態が消え失せたという想定がなされるわけではない。都市的環境において姿を消すのは、<家庭集団の発展サイクル>である。これは家族制度の目に見える具象化であって、<非物質的だが不動の諸価値の総体である家族制度>とこれを混同してはならない」47頁

反証可能性がない議論のような悪寒も駿河…

「不完全直系家族——境界の現象
 不完全直系家族とは、世帯構造が権威主義的特徴を示すことと相続規則が正式には平等主義的であることとが共存しているということである。しかもこの2つの側面の組み合わせが共同体家族に典型的な家庭集団の発展サイクルを生み出すことがない。共同体家族の標識である2人の兄弟の同居は、とりわけ姿を見せない。このような状況では、平等主義的規則が実際の慣習行動によって否定されているのだとする仮説を立てる必要があるだろう」71頁

「人類学的地帯というものが思っていたよりはるかに不動のものである…家族型の地図は人口が安定に達した時期の実態を示しているのであり、近代性によって一掃されたと思われた民族学的領域がここによみがえっているわけである。ゲルマン文化とラテン文化という観念は、16世紀をはるかに越えて、ローマによる征服とゲルマンの侵入の時代まで我々を連れ戻す。ラテン領域の中のマイノリティー的制度、つまりオック・イベリア地帯やイタリア中央部は、おそらくもっと古い起源を持っている。これらの地域の<人類学的な形成>はどうやらローマによる征服より以前に完了したもののようで、すでに生活慣習は充分な人口密度に担われて、その性格を明確にし、安定に達しており、何もローマ共和国ないし帝国が秩序をもたらすのを待つには及ばなかった。これらの地域はローマによる征服で初めて全般的に文明に到達したわけではないのである」81頁

「要するに、家族制度の最終地図は、紀元前6世紀(エトルリア文明の絶頂期)から、伝統的にスペインのレコンキスタ終了の年とされている1492年までの間のいずれかの時点に安定化を見た、実に長い期間にわたる歴史過程を描きだしているのである。どんな仮説が立てられ、どんな説明が取り上げられたとしても、現在ヨーロッパを区分している人類学的地帯の確定は、本書の中で研究される歴史的期間より以前、つまり西暦1500年以前に遡ることは間違いない」82頁→

(承前)「とはいえ、人類学的地帯が安定して不動であるということは、必ずしもそれだけで家族型が安定していることを意味しない。家族型は不安定で流動するが、人類学的地帯の安定性はそれによって影響されることはない、という事態も考えられるのである。異なる領域を支配している複数の家族型の歴史は並行して進むが、それぞれ別々に進むのであり、次々と起こる変化によって制度が互いに類似してくる収斂現象に至るわけではない、と想像することもできる。この問題が架空のものではなく、現実性を持っていることを示す例を挙げてみよう。ゲルマン的非平等主義の問題である。非平等という価値とローマ化されなかったゲルマン人居住地とが合致することは、地図によって一目瞭然である。こうして西暦300〜500年という時期と、相続慣習の観察の時期である1850〜1900年との間に橋が架け渡される。しかし西暦800〜1000年の家族制度を観察したとしたら、このような一致は見られなかっただろう。その理由はまことに簡単で直系家族の不平等主義的規則はその頃にはまだ十全に形をとっていなかったであろうということである。おそらくその頃には平等主義的相続がゲルマン人の間での規範だったはずなのである」83頁→

(承前)「財産不分割の規則が姿を現わし、定着するのは、農村の人口密度が上昇してからであり、それとともに不平等主義への転換が行なわれる。大開墾時代には土地がふんだんにあったため、土地の移譲の不平等主義的規則はいわば不要となっていた。やがて中世中期の<高密度世界>に至って、平等主義地帯と非平等主義地帯とが明確に姿を現わす。何故なら、ラテン地帯とゲルマン地帯とは、土地の希少化という問題に対して異なった形で反応するからである。かくして不平等主義への変化は、民族学的な地域の本質に従った形で起こるのであり、家族型それ自体が不安定で変化するからといって、人類学的地帯の安定性は揺るぎはしない。しかしどの時代をとっても、異なる民族学的地域における家族制度は互いに異なっているということ、ゲルマン系住民の最古の家族制度の中に、不平等主義への転換を促す要因がすでに存在していたということは認めなければならない。この要因が何かは本書では求めないことにするが」

訳語として「非平等」と「不平等」が混在しているのはイクない

「ラテン世界にも、非常に長い期間で見た場合、家族制度は不安定でも、それが民族学的地域の安定性に影響を及ぼさないという同じ問題がある。この場合、疑問があるのは、家族構造の核家族的な自由主義的要素である。これに対して平等主義的要素の方は、安定的と考えることができ、これはいわゆるローマ時代以来——ローマ帝国以来と考えても良いし共和国以来としても良い——ラテン世界の全域で(オック・北イベリア地帯を除く)支配的であった。ところが、パリ盆地、イタリア北西部ならびに南部、スペイン中部ならびに東部の特徴をなす自由主義的要素の方は、古代ローマの典型的な特徴ではいささかもない。ローマの始原の家族制度の特徴は明瞭この上ない権威主義であり、それが平等主義と組み合わさって、強力な共同体的家族構造を生み出した。今日イタリアに見出されるのはおそらくこの共同体型である。もっともその中心地はトスカーナ(つまりエトルリア)であって、ローマ市そのものではないが。しかし1500〜1900年のラテン世界で多数を占める家族型は、平等主義家族であって、これは厳密な意味ではローマ的なものではないのである。文化上の領域——ラテン世界——の安定性は、家族型の不安定性を妨げない。おそらく共同体制度から平等主義核家族制度への移行が起こったのだ」84頁→

(承前)「ここで家族制度という個別的ケースを通して、時の中での変貌、空間の安定性という論理図式が観察されたわけだが、この論理図式は、諸現象を同時に空間と時間の双方の中で把握しようと努める歴史学上の問題設定の特徴をなすものである。この論理図式の例は、他にいくつもの本書中に、他の型の変数、つまり宗教的・イデオロギー的変数をまとって登場するであろう。この複合的だが典型的な論理図式には何らかの名称が付けられて然るべきである。ある変数なり構造なりが時間の中で変化しながら、その空間内での分布に影響を及ぼさない、そのような変化を〈内変化〉endomorphoseと呼ぶことにしよう。〈内変化〉という概念は、諸構造が時のなかで変化して行くということと、それらの構造が不動の安定した人類学的地域の中に刻み込まれているということとを両立させるのである。
 内変化=時の中で変化+空間的安定性」84-5頁

「『農地制度が時を越えて恒常的である』という仮説を明文化するという手柄は、1899年から1931年の間に、社会民主主義者カウツキーのものとなる。彼は、ヨーロッパ全域が、農地制度としては大規模経営と家族農場という二大類型に分けられているこの分割が、古くからの原初的で安定的なものであるという直観を持った最初の人間である。彼の説は、およそ大規模経営が出現するのは、征服によって屈服した住民が奴隷にされてしまうからだ、というものである。この解釈をヨーロッパに適用すると、暗にゲルマンの侵入と、さらにはローマによる征服に原因を求めることになる。農村社会の形が暴力によって整えられると、あとは安定した制度が千年以上も続き、それが産業革命にさえ抵抗している、というわけである。
 カウツキーが呈示した『安定モデル』は、マルクスが規定した『不安定』モデルよりも西ヨーロッパの現実に合致している。ブリテン島の例は別として、19世紀から20世紀にかけての近代化の期間に現実に確認された推移は、むしろ家族経営の強化の方向に向かっていた。…大抵は、大規模経営と家族農場という基本的区分が変化を蒙ることはなく、ただ家族経営地帯における土地の所有形態だけが変化するのであった」89-90頁

おもろいなあ

「ジョルジュ・デュビィは『中世西欧の農村経済と田園生活』の中でカロリング期の大荘園を分析しているが、その際…大荘園モデルの普遍性に疑問を呈している。それが存在する地帯と存在しない地帯があるというのだ。パリ盆地では、農奴保有地と領主保有地との組み合わせが観察できる。しかしドイツ、北イタリア、西ガリア、フランドル、ブラバントでは、賦役労働の仕組みはあまり明瞭に現われず、姿を消している。この地理的分布は断片的な資料から伺われるものにすぎないが、驚くべきことは、この分布が、20世紀末の農業賃金労働者の地理的分布——これは網羅的な調査によるものである——と完全に重なり合うということである。パリ盆地は、9世紀においても20世紀においても、経営集中の地帯なのである。…
 イングランドのケースはさらに驚くべきものである。中世の大規模経営(荘園 manor)の地理的分布は、15世紀から18世紀までの間に起こった激しい変化にもかかわらず、1970年頃の大規模経営の地理的分布を先取りしている」95頁

「極めて長い期間にわたって、大規模経営地帯が安定していることは明白である。とはいえ詳細に考察するなら、農地制度そのものは安定的とは言えない。大荘園の組織が<直ちに>資本主義的大規模経営そのものであるわけではないからである。この場合も〈内変化〉と呼ぶことができる。資本主義的農地制度が根を下ろす地帯というのは、もともと決まっていたのである」96頁

「<平等主義核家族>は、<大規模経営>に理想的な運行の環境を提供する。親族集団の細分化、世帯と青少年(早期に家族から解放される)の流動性、こうしたもののお陰で、労働市場の確立は容易となり、賃金制のメカニズムが成立する。平等主義的相続規則は、農業労働者に適合する。農業労働者たちは大したものを所有しないからである。…
 <共同体家族>は、<分益小作制>にとって不可欠な人類学的環境をなすように思われる。というのもこの農地制度は、所有者と耕作者との間の関係を金銭化することを拒絶するのである。原則的に貨幣記号の使用を受け付けない経済という環境の下で、共同体家族は最大限の労働力の結集を可能にする。これほど多数の若い成人を含む、これほど広範な家庭集団の形成を可能にする人類学的システムは他にない。兄弟の連帯によって、強力な作業チームが形成されることになる。家族集団の発展サイクルの中で、時が来れば核分裂、つまり兄弟の別離が避けられなくなる。こうして家族が周期的に分解するために、農民が農地にしがみつき、土地の占有を次第に相続権へと変貌させ、最終的には貴族ないしブルジョワから現実の耕作者へと所有権の名義を移動させるに至るという過程は起こらない」103-4頁

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