Todd, Emmanuel. (1990=1992, 1993) L’invention de l’Europe, Seuil. 石崎晴己訳『新ヨーロッパ大全』I・II 藤原書店

「論理的に言えば、イデオロギーは社会・経済的階層構造に一致するとの立場から出てくる説明モデルと、イデオロギーは家族構造に一致するとの立場から出てくる説明モデルとの間には、たしかに違いはない。<マルクス主義的モデルと人類学的モデルの真の違いは、前者は観察された事実を説明できないのに対して、後者はそれを説明するという点なのである>。共産主義型の革命は、大量の労働者階級を抱えた進んだ工業国には起こらず、伝統的農民文化が共同体型であった国に起こった」2頁

「外見とは逆に、人類学的仮説は、人間の自由の新たな考え方へとつながるものだと思う。フロイトと精神分析にとって、個人の無意識の決定要因を知るということは、理性の力の及ばないメカニズムへの隷属へと行き着くべきものではなく、却って高次の自由へと行き着くべきものであった。いかなるものに突き動かされているのかを知ることによって、人は初めて自由になれるのである。人類学的仮説の論理的な立場もこれと同様である。なぜならそれもまた無意識の観念に依拠するからである」3頁

「ポスト産業社会への転換は、フランスやイギリスのように個人主義的土台(核家族)を持つ社会と、ドイツやスイスのように反個人主義的土台(直系家族)を持つ社会とでは異なったリズムで進行する」22頁

「学者の歴史は…社会民主主義を何よりも20世紀の代表的現象として位置づける。しかし、それが支配的勢力となるのは、スウェーデン、ノルウェー、北ドイツ、スコットランド、ウェールズであって、他のところではそれほどでもないということを明らかにするのが肝心なのだ」25頁

「20世紀になると、民族主義と社会主義がすべての国、すべての州に浸透したかに見える。民族主義はもちろん、国家を互いに対抗させる。しかし社会主義は国際主義を標榜し、伝統的に細分化され続けてきた大陸を統一することを束の間夢見るのである。ところがそうなると今度は社会主義そのものが、互いに相容れない4つの構成要素に分解してしまう。社会主義の4つの亜種、すなわち社会民主主義、共産主義、無政府主義、労働党社会主義がたちまち分化し、ヨーロッパを分割してそれぞれの勢力圏とする」28-9頁

「州」はÉtatかなあ…だとしたら、この場合むしろ「国家」で、その前の「国」(たぶんnation=「国民」)と対比させてんじゃないだろうか

「家族制度と土地制度はともに安定性がきわめて高いという点が共通している。この両者が組み合わさって、ヨーロッパの基本的な地理的様相を決定しているのである。各々の地方は、ある家族制度とある農地制度との配合によって性格づけられる。工業化が始まるまでは、多くの地方のたどった運命は、この1組の要因によって説明できた。農村から都市への人口の移動によって、説明変数としての農地制度の重要性は大幅に減少した。これに対して、家族的価値の方は、都市への移住のあとまで永く生き延びている」39頁

「直系家族の制度においては、<世帯の構造>があらゆる場合に3つの世代を含むというわけではない。この複合的家族形態は、結婚した跡取り息子が父親となり、その両親のうち少なくとも1人が存命であるという、発展サイクルの中の1段階に姿を現わすにすぎない。両親が死ねば、3世代を含む縦の構造は姿を消し、世帯は核家族的形態を取り戻す。そして、次の世代の跡取りが子供を持つようになると、この形態は再び失われる、という風に続いて行くのである。アンシアン・レジーム下の典型的な死亡率と出生率を条件としてコンピューターによるシミュレーションを行なったところ、3世代世帯の割合は任意のある時点において3分の1を超えることはない、との結果が出ている」44頁

「都市的環境にあっては、居住空間に融通が効かないことや、賃金制度のメカニズムからして、同居現象にはいかなる正当性も見出せなくなる。しかし3世代の複合世帯が都市において姿を消すからと言って、権威や相互依存という価値が消え去ってしまうわけでは毛頭ない。こうした価値は、金の貸し借りや手を貸し合うこと、住居は別々でも近くに住むこと、孫のお守りと教育を祖父母が受け持つこと、といった他の物質的結果となって現われる。これらの結果は目につきにくいが、現実性において劣るものではない。
…都市的環境にあっては伝統的家族形態が消え失せたという想定がなされるわけではない。都市的環境において姿を消すのは、<家庭集団の発展サイクル>である。これは家族制度の目に見える具象化であって、<非物質的だが不動の諸価値の総体である家族制度>とこれを混同してはならない」47頁

反証可能性がない議論のような悪寒も駿河…

「不完全直系家族——境界の現象
 不完全直系家族とは、世帯構造が権威主義的特徴を示すことと相続規則が正式には平等主義的であることとが共存しているということである。しかもこの2つの側面の組み合わせが共同体家族に典型的な家庭集団の発展サイクルを生み出すことがない。共同体家族の標識である2人の兄弟の同居は、とりわけ姿を見せない。このような状況では、平等主義的規則が実際の慣習行動によって否定されているのだとする仮説を立てる必要があるだろう」71頁

「人類学的地帯というものが思っていたよりはるかに不動のものである…家族型の地図は人口が安定に達した時期の実態を示しているのであり、近代性によって一掃されたと思われた民族学的領域がここによみがえっているわけである。ゲルマン文化とラテン文化という観念は、16世紀をはるかに越えて、ローマによる征服とゲルマンの侵入の時代まで我々を連れ戻す。ラテン領域の中のマイノリティー的制度、つまりオック・イベリア地帯やイタリア中央部は、おそらくもっと古い起源を持っている。これらの地域の<人類学的な形成>はどうやらローマによる征服より以前に完了したもののようで、すでに生活慣習は充分な人口密度に担われて、その性格を明確にし、安定に達しており、何もローマ共和国ないし帝国が秩序をもたらすのを待つには及ばなかった。これらの地域はローマによる征服で初めて全般的に文明に到達したわけではないのである」81頁

「要するに、家族制度の最終地図は、紀元前6世紀(エトルリア文明の絶頂期)から、伝統的にスペインのレコンキスタ終了の年とされている1492年までの間のいずれかの時点に安定化を見た、実に長い期間にわたる歴史過程を描きだしているのである。どんな仮説が立てられ、どんな説明が取り上げられたとしても、現在ヨーロッパを区分している人類学的地帯の確定は、本書の中で研究される歴史的期間より以前、つまり西暦1500年以前に遡ることは間違いない」82頁→

(承前)「とはいえ、人類学的地帯が安定して不動であるということは、必ずしもそれだけで家族型が安定していることを意味しない。家族型は不安定で流動するが、人類学的地帯の安定性はそれによって影響されることはない、という事態も考えられるのである。異なる領域を支配している複数の家族型の歴史は並行して進むが、それぞれ別々に進むのであり、次々と起こる変化によって制度が互いに類似してくる収斂現象に至るわけではない、と想像することもできる。この問題が架空のものではなく、現実性を持っていることを示す例を挙げてみよう。ゲルマン的非平等主義の問題である。非平等という価値とローマ化されなかったゲルマン人居住地とが合致することは、地図によって一目瞭然である。こうして西暦300〜500年という時期と、相続慣習の観察の時期である1850〜1900年との間に橋が架け渡される。しかし西暦800〜1000年の家族制度を観察したとしたら、このような一致は見られなかっただろう。その理由はまことに簡単で直系家族の不平等主義的規則はその頃にはまだ十全に形をとっていなかったであろうということである。おそらくその頃には平等主義的相続がゲルマン人の間での規範だったはずなのである」83頁→

(承前)「財産不分割の規則が姿を現わし、定着するのは、農村の人口密度が上昇してからであり、それとともに不平等主義への転換が行なわれる。大開墾時代には土地がふんだんにあったため、土地の移譲の不平等主義的規則はいわば不要となっていた。やがて中世中期の<高密度世界>に至って、平等主義地帯と非平等主義地帯とが明確に姿を現わす。何故なら、ラテン地帯とゲルマン地帯とは、土地の希少化という問題に対して異なった形で反応するからである。かくして不平等主義への変化は、民族学的な地域の本質に従った形で起こるのであり、家族型それ自体が不安定で変化するからといって、人類学的地帯の安定性は揺るぎはしない。しかしどの時代をとっても、異なる民族学的地域における家族制度は互いに異なっているということ、ゲルマン系住民の最古の家族制度の中に、不平等主義への転換を促す要因がすでに存在していたということは認めなければならない。この要因が何かは本書では求めないことにするが」

訳語として「非平等」と「不平等」が混在しているのはイクない

「ラテン世界にも、非常に長い期間で見た場合、家族制度は不安定でも、それが民族学的地域の安定性に影響を及ぼさないという同じ問題がある。この場合、疑問があるのは、家族構造の核家族的な自由主義的要素である。これに対して平等主義的要素の方は、安定的と考えることができ、これはいわゆるローマ時代以来——ローマ帝国以来と考えても良いし共和国以来としても良い——ラテン世界の全域で(オック・北イベリア地帯を除く)支配的であった。ところが、パリ盆地、イタリア北西部ならびに南部、スペイン中部ならびに東部の特徴をなす自由主義的要素の方は、古代ローマの典型的な特徴ではいささかもない。ローマの始原の家族制度の特徴は明瞭この上ない権威主義であり、それが平等主義と組み合わさって、強力な共同体的家族構造を生み出した。今日イタリアに見出されるのはおそらくこの共同体型である。もっともその中心地はトスカーナ(つまりエトルリア)であって、ローマ市そのものではないが。しかし1500〜1900年のラテン世界で多数を占める家族型は、平等主義家族であって、これは厳密な意味ではローマ的なものではないのである。文化上の領域——ラテン世界——の安定性は、家族型の不安定性を妨げない。おそらく共同体制度から平等主義核家族制度への移行が起こったのだ」84頁→

(承前)「ここで家族制度という個別的ケースを通して、時の中での変貌、空間の安定性という論理図式が観察されたわけだが、この論理図式は、諸現象を同時に空間と時間の双方の中で把握しようと努める歴史学上の問題設定の特徴をなすものである。この論理図式の例は、他にいくつもの本書中に、他の型の変数、つまり宗教的・イデオロギー的変数をまとって登場するであろう。この複合的だが典型的な論理図式には何らかの名称が付けられて然るべきである。ある変数なり構造なりが時間の中で変化しながら、その空間内での分布に影響を及ぼさない、そのような変化を〈内変化〉endomorphoseと呼ぶことにしよう。〈内変化〉という概念は、諸構造が時のなかで変化して行くということと、それらの構造が不動の安定した人類学的地域の中に刻み込まれているということとを両立させるのである。
 内変化=時の中で変化+空間的安定性」84-5頁

「『農地制度が時を越えて恒常的である』という仮説を明文化するという手柄は、1899年から1931年の間に、社会民主主義者カウツキーのものとなる。彼は、ヨーロッパ全域が、農地制度としては大規模経営と家族農場という二大類型に分けられているこの分割が、古くからの原初的で安定的なものであるという直観を持った最初の人間である。彼の説は、およそ大規模経営が出現するのは、征服によって屈服した住民が奴隷にされてしまうからだ、というものである。この解釈をヨーロッパに適用すると、暗にゲルマンの侵入と、さらにはローマによる征服に原因を求めることになる。農村社会の形が暴力によって整えられると、あとは安定した制度が千年以上も続き、それが産業革命にさえ抵抗している、というわけである。
 カウツキーが呈示した『安定モデル』は、マルクスが規定した『不安定』モデルよりも西ヨーロッパの現実に合致している。ブリテン島の例は別として、19世紀から20世紀にかけての近代化の期間に現実に確認された推移は、むしろ家族経営の強化の方向に向かっていた。…大抵は、大規模経営と家族農場という基本的区分が変化を蒙ることはなく、ただ家族経営地帯における土地の所有形態だけが変化するのであった」89-90頁

おもろいなあ

「ジョルジュ・デュビィは『中世西欧の農村経済と田園生活』の中でカロリング期の大荘園を分析しているが、その際…大荘園モデルの普遍性に疑問を呈している。それが存在する地帯と存在しない地帯があるというのだ。パリ盆地では、農奴保有地と領主保有地との組み合わせが観察できる。しかしドイツ、北イタリア、西ガリア、フランドル、ブラバントでは、賦役労働の仕組みはあまり明瞭に現われず、姿を消している。この地理的分布は断片的な資料から伺われるものにすぎないが、驚くべきことは、この分布が、20世紀末の農業賃金労働者の地理的分布——これは網羅的な調査によるものである——と完全に重なり合うということである。パリ盆地は、9世紀においても20世紀においても、経営集中の地帯なのである。…
 イングランドのケースはさらに驚くべきものである。中世の大規模経営(荘園 manor)の地理的分布は、15世紀から18世紀までの間に起こった激しい変化にもかかわらず、1970年頃の大規模経営の地理的分布を先取りしている」95頁

「極めて長い期間にわたって、大規模経営地帯が安定していることは明白である。とはいえ詳細に考察するなら、農地制度そのものは安定的とは言えない。大荘園の組織が<直ちに>資本主義的大規模経営そのものであるわけではないからである。この場合も〈内変化〉と呼ぶことができる。資本主義的農地制度が根を下ろす地帯というのは、もともと決まっていたのである」96頁

「<平等主義核家族>は、<大規模経営>に理想的な運行の環境を提供する。親族集団の細分化、世帯と青少年(早期に家族から解放される)の流動性、こうしたもののお陰で、労働市場の確立は容易となり、賃金制のメカニズムが成立する。平等主義的相続規則は、農業労働者に適合する。農業労働者たちは大したものを所有しないからである。…
 <共同体家族>は、<分益小作制>にとって不可欠な人類学的環境をなすように思われる。というのもこの農地制度は、所有者と耕作者との間の関係を金銭化することを拒絶するのである。原則的に貨幣記号の使用を受け付けない経済という環境の下で、共同体家族は最大限の労働力の結集を可能にする。これほど多数の若い成人を含む、これほど広範な家庭集団の形成を可能にする人類学的システムは他にない。兄弟の連帯によって、強力な作業チームが形成されることになる。家族集団の発展サイクルの中で、時が来れば核分裂、つまり兄弟の別離が避けられなくなる。こうして家族が周期的に分解するために、農民が農地にしがみつき、土地の占有を次第に相続権へと変貌させ、最終的には貴族ないしブルジョワから現実の耕作者へと所有権の名義を移動させるに至るという過程は起こらない」103-4頁

フォロー

「<絶対核家族>は、<小作制>の伸長に有利に働く。子供たちの急速な解放のため、血統による一族の形成や同一の土地に対する権利の親から子への継承は起こり得ない。共同体家族の場合と同様に、貴族ないしブルジョワの地主は、農民保有権が強化され、占有(地代による)が純然たる農民の所有権に変わってしまうことから護られている。とはいえ絶対核家族は、共同体家族の特徴であった依存と無力の立場に農民を陥れるわけではない。絶対核家族は平等原則に無関心であるため、経営資本を部分的にはまとめて譲渡する合理的な相続が可能であり、農民が一定の交渉力を維持することもできるからである」104頁

「<直系家族の地域はすべて自作農地域でもある。とはいえ自作農地域がすべて直系家族地域であるわけではない>」106頁

「宗教という変数は、ヨーロッパの発展のありようを正確に理解するには枢要である。しかしこれを歴史の動きの記述の中に導入すると、実際には、差異化・分節化の過程をどう説明するかという問題を、論理的に一度後退させてしまうことにしか行き着かない。…宗教面から見た近代性が描きだす驚くべき地理模様の背後に、家族制度と農地制度の伝統的地理模様が透けて見える。ヨーロッパの人類学的分節化が、場所によって宗教面の変遷を誘導したり促進したり制御したりしているのである。
 家族の型はそれぞれが、自由か権威、平等か不平等という諸価値を背負っているが、それらの価値は、宗教改革に対するその地方その地方の反応をかなり大幅に決定する。そもそも宗教改革とは、人間の神への絶対的服従と人間間の不平等という、権威的にして不平等主義的な形而上学を、ヨーロッパに押しつけようとするものであった。権威的で不平等主義的な家族構造が支配的である地方だけが、このようなメッセージを十全に受け入れることができる。他の地方では、ルター派なりカルヴァン派なりの宗教改革に対する拒否や抵抗や歪曲が見られたが、それは人類学的拒絶に他ならない」118頁

「その2世紀あとに始まる神の消滅、これもまた家族制度の如何によって左右されている。創造主が人々の日常の精神生活から取りのぞかれるのは、まず最初に家族構造が〈神=全能の父〉というイメージを投影しない場所、兄弟間の関係に平等主義がしみ込んでおり、そのため何らかの超越的実在が存在するという信念がなかなか成立しにくい場所においてであった。宗教的危機は、家族構造によって自由主義的な親子関係と平等主義的な兄弟関係が行なわれている地方で始まる。大規模経営の農地制度は、しばしば平等主義核家族と結びつき、普通、強固な宗教的信仰心にはあまり適さないものであるが、果たしてこの農地制度が存在するかどうかが、早期の脱キリスト教化の条件となる」119頁

「家族制度は、子供たちの父に対する関係と兄弟間の関係をコード化したものである。宗教的形而上学は、人間の神に対する慣例と人間相互の関係についての言及である。しかし権威もしくは自由という価値、平等もしくは不平等という価値は、概念的には大きな困難を伴わずに、家族に対する次元から形而上学的次元へと乗り移ることができる。父の権威主義(もしくは自由主義)は、神のそれとなり、兄弟間の不平等(もしくは平等)は人間関係のそれとなる。…『全能の神と、救済に関して不平等な人間たちという観念に他ならないプロテスタントの救霊予定説が容易に受け入れられたのは、権威的父親と不平等な兄弟を含む家族組織が以前から存在していたところ、つまり直系家族の諸地方においてである』という仮説…これと対照的に、形而上学的機会平等と自由意志の対抗宗教改革の教義は、自由主義的な父親と平等な兄弟を含む家族組織が前から存在していたところ、つまり平等主義核家族地帯において、擁護されたわけである」141頁

「ここには神の似姿としての父親という精神分析の古典的テーマが姿を現わしているが、ただし相対化された形で現われている。というのもフロイトは、家族の型は単一であると思い込んでいたので、家族にはいくつかの型があり得るなどとは考えもしなかったのである。家族型が多様なら、父親像も多様であり、その結果、神の姿も多様になるわけである。もっとも、神と父親の同一視は、フロイトの主要な発見とは考えられないというのが妥当なところだろう」141頁

「アルミニウス説は自由意志を再建するのだから、神の権威を弱めることになる。宗教的形而上学と家族構造の連合の仮説からすればまことに論理的にも、それは父親の権威が緩和されている絶対核家族の地域に出現した。父親の自由主義が神の自由主義をもたらすわけである。
 ネーデルラントでは、絶対核家族は全土の55%しか占めていない。しかし、イングランドでは、絶対核家族が人類学的基底の70%を構成している」147頁

「1 <直系家族>+聖職者権力への<異議申し立てに有利な地上的条件>(高度の識字化および/あるいはローマからの距離大)→正統プロテスタンティズム。北部ドイツ、北部スイス、南フランス、スウェーデンの場合。
2 <絶対核家族>+聖職者権力への<異議申し立てに有利な地上的条件>→アルミニウス派の色合の濃いプロテスタンティズム。ホラント、およびとりわけイングランドの場合。
3 <直系家族>+聖職者への<異議申し立てに不利な地上的条件>(低度の識字化および/あるいはローマからの距離小)→カトリシズムの維持。アイルランド、ラインラント、イベリア半島北部沿岸地方、フランス中央山塊およびアルプスの高地の典型的不動性。
4 <平等主義核家族>+聖職者権力への<異議申し立てに有利な地上的条件>→カトリシズムの維持。北部イタリアおよびパリ盆地に最も典型的に見られる安定性。
5 <平等主義核家族>+聖職者権力への<異議申し立てに不利な地上的条件>→カトリックの支配の維持。中部ならびに南部スペイン、南部イタリアに見られる形」155-6頁

「宗教体系を地上的と形而上学的の2つの成分に分ける分析、これが、ヨーロッパが真二つに割れたことと、プロテスタンティズムとカトリシズムに複数の変種が姿を現わしたことの2つを、同時に把握し説明することを可能にする。
 このうち地上的成分の作用で起こった分断は単純であって、ヨーロッパを南と北の2つにくっきりと分ける。北部では、新教世界が、聖職者に特別の役割を認めることを拒否し、教会に対する人間の自由と平等を要求する。南部では、カトリック世界が、俗人に対する聖職者の役割、人間の教会に対する服従を強化するわけである。
 形而上学的成分がもたらす分割の方は、これほど単純ではない。理論的には、4つの主たる家族型のそれぞれに、特有の形而上学的成分が対応してもおかしくないのである。このように、考えられる形而上学的成分が多様に存在するという事実によって、プロテスタント世界とカトリック世界のそれぞれの内部分裂がもたらされる。家族構成の分布図は複雑であり、しばしば一国がそれによっていくつもの地域に分割されてしまうわけだが、そのような分布図によって、プロテスタントとカトリックの形而上学的分裂は、地理的レベルへと移し替えられるのである」158-9頁

「1680年から1690年までの間に生まれた世代の識字率は、どうやらすでに80%に達していると見られる。すべてに18世紀半ばには、スウェーデンにおいて大衆識字化の過程は完了しているのである。しかしこのような近代性の実現状況をもたらした社会構造そのものが、驚嘆に値する。というのも、スウェーデンでは識字化は無秩序でありながら同時に抗いがたいものであったらしいのである。それは数世代の間に完成したが、その間、学校制度が整備されるということはなかった。つまり、教会が識字化を推奨すると、たちまち村やとりわけ家族が、インフォーマルな形で識字化に取りかかったわけである」177頁

「スウェーデンで支配的な直系家族は文化的に効率が良く、イングランドに典型的な絶対核家族は不確定性を示す…
…<長期的に見た場合の成長の差を生み出すのは、とりわけイングランドにおいては後退局面が存在するのに、スウェーデンにはそれが存在しないという点である>。これを家族構造の側から言い換えるなら、絶対核家族は文化的後退を許容するのに対して、直系家族はそれを禁じる、という風に考えることもできよう。…直系家族においては、家系を伝えなければならないという強迫観念の故に、あらゆる進歩は決定的獲得物となる。識字化が一つの家族の中にひとたび導入されると、それは家族の中に残ることになる。…家族構造の連続性が識字化運動の連続性の底に横たわっている。
 絶対核家族では不連続性が原則である。家族の歴史は直線的ではなく、獲得物の残存は主要な目標ではない。…イングランドの歴史全般の特徴たる不連続性への傾向…この傾向は核家族的家族構造によってもたらされたものであって、この家族構造は、世代継承の観点から言えば不連続的家族構造と呼ぶこともできよう」179-80頁

「すでに16世紀には神の性格にいくつかの形があったことが、宗教改革と対抗宗教改革とによって明らかに示されている。そうした神の性格は、各地方の人類学的基底に適応したものだった。まず<自由主義的な神>があり、カトリック圏のうち最大の部分において支配的であるが、これは平等主義核家族の自由主義的な父親の忠実な反映である。これとは別にもう一つの自由主義的な神があり、それは、絶対核家族が支配的な人類学的類型を成しているアルミニウス説的傾向の新教諸国で優勢を占める。プロテスタント圏のその他の地方では、権威主義的な神が断固として立ちはだかっている。これは直系家族地域の権威主義的な父親の形而上学的転移に他ならない。同様に、カトリックに留まった直系家族地域(調和的カトリシズム)にも、権威主義的な神のイメージが存在すると仮定することができる。
 ところで権威主義的な神のイメージは、もちろん自由主義的なイメージよりもはるかに強力である。そこで科学革命と産業革命は強固な神と脆い神とに同時に攻撃を加えることになる。ヨーロッパにおいて父親の権威に2種類の水準が存在するということは、神のイメージの抵抗力にも2種類の水準があるということを意味する。直系家族地域の神は、核家族地域の神より打ち壊しにくいであろう」205頁

「父子関係は、ポジティヴに神の権威の度合いを決定し、兄弟間の関係は、ネガティヴな形で神の権威への異議申し立ての程度を決定するわけである。この2つの効果が組み合わされば、本書で用いられる4つの家族型のそれぞれに対応する神のイメージの強度は、先験的に決まってしまうのである。
 <直系家族>は最大の強度を作り出す。父親の権威が神の権威を支え、兄弟間の関係に現われた平等原理への無関心は、神の超越性への異議の不在を帰結する。
 <共同体家族>は一つの矛盾と一つの不安定な均衡を孕んでいる。家族組織の縦の線は強い神のイメージをもたらすが、兄弟間の関係の平等主義は神の超越性の拒否に有利に働く。
 <絶対核家族>はもう一つの型の中間的状況を生み出すが、何らかの矛盾に対応するわけではない。家族組織が含む自由主義は脆い神を帰結するが、平等原理への無関心のおかげで、この脆い神は異議を申し立てられることが少ないのである。
 <平等主義核家族>は宗教にとって絶対的脅威である。父親の自由主義から生まれた脆い神は兄弟関係の平等主義によって侵蝕されてしまう」206頁

「大規模工業と違って、大規模農業経営は近代性の産物ではない。人類学的基底を構成する一要素である。したがってこれは、伝統的なキリスト教がそもそも当初より弱体であるような地域を作り出す要因となる。分益小作制、小作制、自作農は、その程度に差はあれ、いずれにせよ経済的独立の状況に対応する。これらの農地制度のどれ一つとして——分益小作制でさえも——大規模農業経営特有の依存度に近付くものはない。どれもが、家族を生産単位と考え、父親を経営主と考える。どれをとっても、神と来世への信仰に対して、大規模経営のような大量の有害な効果を及ぼすものはない」208-9頁

「自由主義的で平等主義的な家族が、神=父の弱くしかも異議を唱えられたイメージを生み出し、農業賃金制が、父親の物質的権力を脆弱化させる一方で、個人の運命への感情を軽減してしまう…ヨーロッパの中で、<平等主義核家族>と<大規模農場経営>とが組み合わさっている地域が、最初の脱キリスト教化の基本的な極となるわけである」209頁

「脱キリスト教の4つの主要な中心——パリ盆地、プロヴァンス、イベリア半島南部、南イタリア——はいずれも、人類学的には平等主義核家族と大規模農業経営を組み合わせている…全体としては、人類学的基底(平等主義核家族+大規模経営)と脱キリスト教化の一致は明瞭に現われている。
 …家族制度も農地制度も脱キリスト教化の過程にとって等しく必要である」215頁

「科学と産業の時代の真っ只中にあって宗教の生き残りを可能にしたのは、家族内の権威主義と聖職者の優位性との組み合わせなのである。この組み合わせは、<調和的カトリシズム>に特有のものと言うことができる。プロテスタンティズムは、聖職者の重要性を否定するがゆえに、もっぱら家族に依拠していた。そのため危機が到来するや、いかなる組織的な基盤も失われてしまうのである。それに対して、カトリック教会とは序列と規律を持った機関であって、その機構は宗教的順応主義を支え分解を遅らせる自律的な役割を演ずることができるのである」239頁

「識字化+脱キリスト教化=避妊
 識字化は受胎調節の発展の第一条件だが、それだけが総てではない。宗教的信仰の崩壊もほとんど同じくらい重要な要因と思われる。この2つの説明要素が然るべく配置されれば、ヨーロッパの人口統計学的歴史は理解可能なものとなる」242-3頁

「近代政治も伝統宗教と同様、人類学的決定因を逃れることはできない。かつては家族的諸価値が、各地で大いなる宗教的形而上学の構造を決定していた。永遠の来世における人間と神の関係が、自由主義的なものになるか権威主義的なものになるか、人間同士の関係が、平等主義的なものになるか不平等主義的なものになるかが、それで決まっていた。その基本的な素材を、大いなる政治的形而上学、すなわちイデオロギーが手にとって、今度はこの地上に理想の都を建設しようとする。市民の国家——これが永遠者の代わりである——に対する関係は、自由主義的なものか権威主義的なものとなるだろう。市民同士の関係は、平等主義的なものか不平等主義的なものとなるだろう」249頁

「要するにその土地その土地の人類学的システムは、かつて宗教的形而上学の構造を決定したが、その後は政治的形而上学の構造を決定するのである。家族構造は安定しており、時の流れの中で変わることがないから、その結果、ある一つの土地において宗教に刻み込まれていた基本的諸価値と、その後イデオロギーに刻み込まれる基本的諸価値とは、同一であるということになる。自由主義的にして平等主義的な家族制度は、16世紀に自由主義的にして平等主義的な宗教的形而上学を産出し、次いで18世紀から20世紀にかけて、自由主義的にして平等主義的なイデオロギー的形而上学を産出するだろう。権威主義的にして不平等主義的な家族制度は、16世紀に権威主義的にして不平等主義的な宗教的形而上学を産出し、20世紀に権威主義的にして不平等主義的なイデオロギー的形而上学を産出することになる。家族的決定因の存在を知らずに、宗教の死とイデオロギーの誕生、そして宗教とイデオロギーの間に存在する構造の類似性に気付く観察者はだれでも、諸価値が宗教的な次元から政治的次元へと直接移動したという印象を持つだろう。そして、宗教的要素が政治的要素の形を決める、権威主義的な神が強い国家を産出し、自由主義的な神が議会主義を促進するのであると、考えてしまうだろう」250頁→

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