福岡伸一(2007)『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書

これサントリー学芸賞を獲って、著名アスリートや企業経営者にかなり読まれてるんだよなあ…為●さんとか富士フ●ルム古森さんとか(生物学者で評価している人はたぶんいないと思いますが😅)

「分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなる精巧なプラモデル、すなわち分子機械に過ぎないといえる。デカルトが考えた機械的生命観の究極的な姿である。生命体が分子機械であるならば、それを巧みに操作することによって生命体を作り変え、”改良” することも可能だろう」5頁

「生命というあり方には、パーツが張り合わされてい作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な重要な特性が存在している。ここには何か別のダイナミズムが存在している。私たちがこの世界を見て、そこに生物と無生物と識別できるのは、そのダイナミズムを感得しているからではないだろうか。では、その ”動的なもの” とは一体なんだろうか。
…ルドルフ・シェーンハイマー…は、生命が『動的な平衡状態』にあることを最初に示した科学者だった。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、次の瞬間には身体から抜け出て行くことを証明した。つまり私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている」7-8頁

古来より我々ホモ・サピエンスは生物と無生物をそれほど截然と「識別」できておらず、むしろ無生物の中に生物的なもの、さらには何らかの意図を嗅ぎ取ろうとする認知バイアスを備えてきたんだけどなあ(宗教等の起源)…あと「動的平衡」という言葉を専売特許のように使ったのはシェーンハイマーではなく、「一般システム理論」の生物学者フォン・ベルタランフィーのはず(その辺を福岡は知らぬはずはなく、意図的に混同させてるのかな?)

「シュレーディンガーは『生命とは何か』の中できわめて重要な2つの問いを立てていた。ひとつ目は、遺伝子の本体はおそらく非周期性結晶ではないか、と予言したことである。ふたつ目は、いささか奇妙に聞こえる問いかけだった。それは『なぜ原子はそんなに小さいのか?』というものだった」132-3頁

「生命現象に参加する粒子が少なければ、平均的なふるまいから外れる粒子の寄与、つまり誤差率が高くなる。粒子の数が増えれば増えるほど平方根の法則によって誤差率は急激に低下させうる。生命現象に必要な秩序の精度を上げるためにこそ、[シュレーディンガーの言う]『原子はそんなに小さい』、つまり『生物はこんなに大きい』必要があるのだ」143頁

「私は、現存する生物の特性、特に形態の特徴のすべてに進化論的原理、つまり自然淘汰の結果、ランダムな変異が選択されたと考えることは、生命の多様性をあまりに単純化する思考であり、大いなる危惧を感じる。
 むしろ、生物の形態形成には、一定の物理的な枠組み、物理的な制約があり、それにしたがって構築された必然の結果と考えたほうがよい局面がたくさんあると思える」144-5頁

急にエボデボめいた話に😅

「生物は、自力では動けなくなる『平衡』状態に陥ることを免れているように見える。もちろん生物にも死があり、それは文字通り生命という系の死、エントロピー最大の状態となる。しかし、生命は、通常の無生物的な反応系がエントロピー最大の状態になるのよりもずっと長い時間、少なくともヒトの場合であれば何十年もの間、熱力学的平衡状態にはまり込んでしまうことがない。その間にも、生命は成長し、自己を複製し、怪我や病気から回復し、さらに長く生き続ける。
 つまり生命は、『現に存在する秩序がその秩序自身を維持していく能力と秩序ある現象を新たに生み出す能力をもっている』ということになる」148頁

「シュレーディンガーは、生命が、エントロピー増大の法則に抗して、秩序を構築できる方法のひとつとして、『負のエントロピー』という概念を提示した。エントロピーがランダムさの尺度であるなら、負のエントロピーとはランダムさの逆、つまり『秩序』そのものである。
 生きている生命は絶えずエントロピーを増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいていく傾向がある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。実際、生物は常に負のエントロピーを ”食べる” ことによって生きている」149頁

「私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が『生きている』ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。…
 シェーンハイマーは…自らの実験結果をもとにこれを『身体構成部分の動的な状態(The dynamic state of body constituents)』と呼んだ。彼はこう述べている。

 生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」163-4頁

「<秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。>
…シュレーディンガーの『生命とは何か』で、彼は…すべての物理現象に押し寄せるエントロピー(乱雑さ)増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質であることを指摘した。しかしその特質を実現する生命固有のメカニズムを示すことはできなかった。
…エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。
 私はここで、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態(dynamic state)という概念をさらに拡張して、動的平衡という言葉を導入したい。この日本語に対応する英語は、dynamic equilibrium…である。…
 自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる。
 〈生命とは動的平衡にある流れである〉」166-7頁

「生命とは動的平衡にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られる際から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している相補性にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で動的な平衡状態を保ちえているのである」178頁

「『柔らかな』相補性は、工学的に見れば、結合力の高い堅牢な組み立てに比べ、耐久性の点で劣るように見える。またピース自体が常々作り変えられる点も非効率的・消費的に見える。しかしそうではない。秩序を保つために秩序を破壊しつづけなければならないこと、つまりシステムの内部に不可避的に蓄積するエントロピーに抗するには、先回りしてそれを壊し排出するしかない」181頁

「環境変化に対する生命の適応と内的恒常性の維持は、すべて…フィードバックループによって実現される。柔よく剛を制す。まさに『柔らかな』相補性が生命の可変性を担っているのである」184頁

「膜に対してタンパク質がどのような方向で結合しているか。これもまた細胞生物学における重要なトポロジーの問題である。トポロジーが場所を特定し、その局在性が機能を特定するからだ。
 細胞は自分自身の内部に別の内部を作ってそれを外部とした。このような区画分けはそれだけで秩序の創出となる。区画の内外で、別々の環境を作り出し、それぞれ個別の反応や活動を営むことがてきるからである。タンパク質のトポロジーもその役割に応じて、どちらの世界に面して生きるかが厳密に決められることになる」225頁

「さまざまな分子、すなわち生命現象をつかさどるミクロなジグソーパズルは、ある特定の場所に、特定のタイミングを見計らって作り出される。そこでは新たに作り出されたピースと、それまでに作り出されていたピースとの間に、形の相補性に基づいた相互作用が生まれる。その相互作用は常に離合と集散を繰り返しつつネットワークを広げ、動的な平衡状態を導き出す。一定の動的平衡状態が完成すると、そのことがシグナルとなって次の動的平衡状態へのステージが開始される。
 この途上の、ある場所とあるタイミングで作り出されるはずのピースが1種類、出現しなければどのような事態が起こるだろうか。動的な平衡状態は、その欠落をできるだけ埋めるようにその平衡点を移動し、調節を行おうとするだろう。そのような緩衝能が、動的平衡というシステムの本質だからである。平衡は、その要素に欠損があれば、それを閉じる方向に移動し、過剰があればそれを吸収する方向に移動する」263頁

「生命現象にはあらかじめさまざまな重複と過剰が用意されている。…
 ある遺伝子をノックアウトしたにもかかわらず、受精卵から始まって子マウスの出産にまでこぎつけることができたということは、すなわち動的な平衡が、その途上で、ピースの欠落を補完しつつ、分化・発生プログラムをなんとか最後まで<折りたたみ>えたということである。リアクションの起結、つまりリアクショニズムとして新たな平衡が生み出されたということである」264頁

フォロー

「致命的な欠落ではなく、その欠落に対してバックアップやバイパスが可能な場合、動的平衡系は何とか埋め合わせをしてシステムを最適化する応答性と可変性を持っている。それが ”動的な” 平衡の特性でもある。これは生命現象が時に示す寛容さあるいは許容性といってもよい。平衡はあらゆる部分で常に分解と合成を繰り返しながら、状況に順応するだけの滑らかさとやわらかさを発揮するのだ。
 ところが動的な平衡系にとってこの許容性が、逆に作用することがある。平衡系は、偶発的なピースの欠落に対してはやわらかくリアクションする。しかし、平衡系は人工的な紛い物までは予定していない」265頁

「<ドミナント・ネガティブ現象>
 タンパク質分子の部分的な欠落や局所的な改変のほうが、分子全体の欠落よりも、より優位に害作用[dominant negative]を与える。部分的に改変されたパズルのピースを故意に導入すると、ピースが完全に存在しないとき以上に大きな影響が生命にもたらされる。
 ドミナント・ネガティブは、分子生物学の現場ても広く知られるようになった生命という系固有の現象である」266-7頁

「機械には時間がない。原理的にはどの部分からでも作ることができ、完成した後からでも部品を抜き取ったり、交換することができる。そこには二度とやり直すことのできない一回性というものがない。機械の内部には、折りたたまれて開くことのできない時間というものがない。
 生物には時間がある。その内部には常に不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、一度、折りたたんだら二度と解くことのできないものとして生物はある。生命とはどのようなものかと問われれば、そう答えることができる」271頁

「機械」のカリカチュアないし藁人形論法では…そんなに単純な機械ばかりじゃないでしょ😅

「生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。
 これを見出すように操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。もし平衡状態が表向き、大きく変化しないように見えても、それはこの動的な仕組みが滑らかで、やわらかいがゆえに、操作を一時的に吸収したからにすぎない。そこでは何かが変形され、何かが損なわれている。生命と環境との相互作用が一回限りの折り紙であるという意味からは、介入が、この一回性の運動を異なる岐路へ導いたことに変わりはない。
 私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである」284-5頁

がんと闘うな近藤的な結末😅 人類史上延々と続けられ多大な効果を上げてきた家畜化・栽培化による「自然」の改変(人為淘汰)をどう考えてんのかねえ

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