「生命というあり方には、パーツが張り合わされてい作られるプラモデルのようなアナロジーでは説明不可能な重要な特性が存在している。ここには何か別のダイナミズムが存在している。私たちがこの世界を見て、そこに生物と無生物と識別できるのは、そのダイナミズムを感得しているからではないだろうか。では、その ”動的なもの” とは一体なんだろうか。
…ルドルフ・シェーンハイマー…は、生命が『動的な平衡状態』にあることを最初に示した科学者だった。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、次の瞬間には身体から抜け出て行くことを証明した。つまり私たち生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている」7-8頁
古来より我々ホモ・サピエンスは生物と無生物をそれほど截然と「識別」できておらず、むしろ無生物の中に生物的なもの、さらには何らかの意図を嗅ぎ取ろうとする認知バイアスを備えてきたんだけどなあ(宗教等の起源)…あと「動的平衡」という言葉を専売特許のように使ったのはシェーンハイマーではなく、「一般システム理論」の生物学者フォン・ベルタランフィーのはず(その辺を福岡は知らぬはずはなく、意図的に混同させてるのかな?)
「シュレーディンガーは、生命が、エントロピー増大の法則に抗して、秩序を構築できる方法のひとつとして、『負のエントロピー』という概念を提示した。エントロピーがランダムさの尺度であるなら、負のエントロピーとはランダムさの逆、つまり『秩序』そのものである。
生きている生命は絶えずエントロピーを増大させつつある。つまり、死の状態を意味するエントロピー最大という危険な状態に近づいていく傾向がある。生物がこのような状態に陥らないようにする、すなわち生き続けていくための唯一の方法は、周囲の環境から負のエントロピー=秩序を取り入れることである。実際、生物は常に負のエントロピーを ”食べる” ことによって生きている」149頁
「私たち生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が『生きている』ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。…
シェーンハイマーは…自らの実験結果をもとにこれを『身体構成部分の動的な状態(The dynamic state of body constituents)』と呼んだ。彼はこう述べている。
生物が生きているかぎり、栄養学的要求とは無関係に、生体高分子も低分子代謝物もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」163-4頁
「<秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない。>
…シュレーディンガーの『生命とは何か』で、彼は…すべての物理現象に押し寄せるエントロピー(乱雑さ)増大の法則に抗して、秩序を維持しうることが生命の特質であることを指摘した。しかしその特質を実現する生命固有のメカニズムを示すことはできなかった。
…エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。
私はここで、シェーンハイマーの発見した生命の動的な状態(dynamic state)という概念をさらに拡張して、動的平衡という言葉を導入したい。この日本語に対応する英語は、dynamic equilibrium…である。…
自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる。
〈生命とは動的平衡にある流れである〉」166-7頁
「生命現象にはあらかじめさまざまな重複と過剰が用意されている。…
ある遺伝子をノックアウトしたにもかかわらず、受精卵から始まって子マウスの出産にまでこぎつけることができたということは、すなわち動的な平衡が、その途上で、ピースの欠落を補完しつつ、分化・発生プログラムをなんとか最後まで<折りたたみ>えたということである。リアクションの起結、つまりリアクショニズムとして新たな平衡が生み出されたということである」264頁
「生命という名の動的な平衡は、それ自体、いずれの瞬間でも危ういまでのバランスをとりつつ、同時に時間軸の上を一方向にたどりながら折りたたまれている。それが動的な平衡の謂いである。それは決して逆戻りのできない営みであり、同時に、どの瞬間でもすでに完成された仕組みなのである。
これを見出すように操作的な介入を行えば、動的平衡は取り返しのつかないダメージを受ける。もし平衡状態が表向き、大きく変化しないように見えても、それはこの動的な仕組みが滑らかで、やわらかいがゆえに、操作を一時的に吸収したからにすぎない。そこでは何かが変形され、何かが損なわれている。生命と環境との相互作用が一回限りの折り紙であるという意味からは、介入が、この一回性の運動を異なる岐路へ導いたことに変わりはない。
私たちは、自然の流れの前に跪く以外に、そして生命のありようをただ記述すること以外に、なすすべはないのである」284-5頁
がんと闘うな近藤的な結末😅 人類史上延々と続けられ多大な効果を上げてきた家畜化・栽培化による「自然」の改変(人為淘汰)をどう考えてんのかねえ
「致命的な欠落ではなく、その欠落に対してバックアップやバイパスが可能な場合、動的平衡系は何とか埋め合わせをしてシステムを最適化する応答性と可変性を持っている。それが ”動的な” 平衡の特性でもある。これは生命現象が時に示す寛容さあるいは許容性といってもよい。平衡はあらゆる部分で常に分解と合成を繰り返しながら、状況に順応するだけの滑らかさとやわらかさを発揮するのだ。
ところが動的な平衡系にとってこの許容性が、逆に作用することがある。平衡系は、偶発的なピースの欠落に対してはやわらかくリアクションする。しかし、平衡系は人工的な紛い物までは予定していない」265頁