「調和等能系は典型的なエンテレキー体系である。エンテレキーは物質でも力でもエネルギーでもない。エンテレキーは空間中に存在するのではなく、空間以外から空間の中へ全体的、合目的的に作用するものである。これはいかにも非合理な主張のように見える。しかし、先入観なしにドリーシュの諸著作を読んでいくと、彼は今日言うところの情報概念に近いものを見つけていたのであり、エンテレキーとは情報を空間中へ供給し、その支配下にある対象を制御する作用因であると解釈できることがわかる。彼の用語の中で、今日の情報概念に相当するものは『多様度(Mannigfaltigkeitsgrad)』である」327-8頁
「生物の発生は、たしかにルーの言うように、見えない多様性が見えてくる過程であると定式化することができる。ここにも自明性の原理が適用されるとすれば、少なくとも見えてきた多様性に見合うだけの多様性が、あらかじめどこかに存在していなくてはならない。古典力学が占有する三次元の『現象空間』にこの多様性の起源が組み込みえず、むしろこれを積極的に拒否するようにみえるとすれば、もはや空間以外から空間の中へ供給される以外には考えようはない。それがエンテレキーである。秩序そのものであり、これを供給・制御する因子であるエンテレキーは、いまだ発現していない内的エンテレキーと、顕現した外的エンテレキーとがあることになる」332頁
「『有機体の哲学』の成功によって、ドリーシュは1910年代〜30年代における生物学的思想と哲学一般に、無視できない影響を与えた。哲学的な広がりについてここでは詳述しない。動物学者のヤコブ・フォン・ユクスキュルの名前だけをあげておく。…そもそも、ドリーシュの独我論と現象学とは、その哲学的な姿勢がよく似ており、フッサールはこの本[『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』]の冒頭で、ドリーシュとまったく同じ意味でエンテレキーという言葉を使用している。『人間性そのもののうちにエンテレキーとして本質的にふくまれていたものが、ギリシャ的人間においてはじめて発現するにいたったのではないのか、が決定されるであろう』」337-8頁
「静的目的論(static teleology)と動的目的論(dynamic teleology)…
静的目的論は、有機体の力学説(mechanistic theory)に基づいた立場である。これによると、生命過程やその秩序は、他のいたるところに妥当する法則による、世界の一般的秩序の特殊なケースに過ぎない。その集合体のそれぞれすべての要素は、自然の同じ要素から偶然そう成り立っているのであり、それらの過程はまとまって結果的に『生命』となっている。この見解に従えば、生命とは単なる組み合わせに特徴があるのであり、何か特殊な法則性によるものではない。…
動的目的論はよく言われているように生気論(vitalism)の立場をとる。この立場は『生命過程の自律性』の認識に向かう」xvii
「熱力学第2法則の解釈問題は、当時の物理学者の間でも、力学的自然観が不完全であるか否かという論争に連なる中心的問題であった。これを象徴する事件が、1890年代のボルツマンとオストワルドとの原子論論争であり、これは、若いドリーシュが思索をめぐらしていた時期と重なっていた。ドリーシュは唯物論(Materialismus)という言葉を、自然現象すべてを究極的には原子の力学的運動をもって説明しようとする立場の意味で用いているが、この言葉使いはオストワルドと同じ用法である。オストワルドのエネルギー一元論が、ドリーシュが生命現象における物理・化学還元主義を否定し、秩序(エンテレキー)一元論へと進んでいった時、思考の型の先行モデルになったとも考えられる」330-1頁