@pandapanda 私もたぶん多くの人を踏みつけたりもしていると思います……。
一つ一つを比喩を使わず具体的に言うのは、正確にはなりそうですが、労力がかかります。健康などの余裕のない人にまで完全に求められるか、というと難しいと思います……。
まずは「比喩に扇動性があるときは特に差別表現になりやすい」と意識のどこかに置いておく、というのが大事かもしれません。
そして、うっかり使ってしまったら謝る。「謝罪」は「差別する快感」と「謝罪する快感」と「許される快感」を全部味わえる、という意見もあります。踏まれた当事者は許さなくて良い。けれど踏んでしまった者は、謝罪せずに知らんぷりするよりは謝って自身を省みる方が、僅かに誠実なように思います。
@pandapanda いやいや、教えられることは少く、私もまだまだ模索中です。でも、それで良いとも思っていて。ゆらゆらに揺れながら、仮の「指針」みたいなものを見つけつつ、少し経ったらまた「指針」を取り直す。そういうのが私はいいな、と思っています。
比喩は豊かで、ステレオタイプに陥りそうなときには助けてくれますよね。
そこも「絶対に使わない」ということではなく、ゆらゆらと、でも「芯」みたいなものを見つけながら、ぎちぎちで苦しみすぎてぺしゃんこにならないように、生きていきたいかな、と。私はそう思っています。
「こらこら、そういう物言いはダメだよ」とお思いになったら、私にもお教えくださいね。
@2d3m13
よろしくおねがいします☺️
@2d3m13
気付けるよう努めよう…
なにしろ気づけないと謝れない…
それが心配です
比喩表現って味わいがあったり面白かったりするので使いたくなるんですよね…
で、悪い方向でないか確認は必要だと思うんです、だって日本市民は湾曲表現が大好きで多用してしまうから。たぶん英語話者と比べると、何を言わんとしているかわからないくらいに使っちゃうんじゃないかしら。言葉の性質と市民の気質ですよね、クッキリしない文章、主語を抜いてボヤ〰と薄めて責任を逃れる。
そして自分自身が何をやっているかわかんなくなっちゃう、差別も。
あ、なんかあったら教えて下さい。即、謝らせてください!!🙇