@2d3m13
私も色んな人を踏みつけて歩いているのではと思います。気をつけて歩いてはいるのですが。
皆でお互いを見て気をつけて歩けば踏むことも減って、もし踏んでしまったときも素早く謝罪し修整できるのではないかと思います。
私は「病気か」「頭がおかしい」も今となっては気になっています。「男みたいだ」「女みたいだ」もですね。当事者を踏みつけているように感じます。
あと、「宗教か」もですね。私自身は無宗教ですが、宗教を大切にきちんと生きている人をたくさん知っているので、その人達を侮辱しているように聞こえてしまいます。
どうでしょう、対策としては、言いたいことを比喩ではなく具体的に述べると関係のない人を踏みつける間違いを避けられるのでしょうか。どうかな…
@pandapanda 私もたぶん多くの人を踏みつけたりもしていると思います……。
一つ一つを比喩を使わず具体的に言うのは、正確にはなりそうですが、労力がかかります。健康などの余裕のない人にまで完全に求められるか、というと難しいと思います……。
まずは「比喩に扇動性があるときは特に差別表現になりやすい」と意識のどこかに置いておく、というのが大事かもしれません。
そして、うっかり使ってしまったら謝る。「謝罪」は「差別する快感」と「謝罪する快感」と「許される快感」を全部味わえる、という意見もあります。踏まれた当事者は許さなくて良い。けれど踏んでしまった者は、謝罪せずに知らんぷりするよりは謝って自身を省みる方が、僅かに誠実なように思います。
@pandapanda いやいや、教えられることは少く、私もまだまだ模索中です。でも、それで良いとも思っていて。ゆらゆらに揺れながら、仮の「指針」みたいなものを見つけつつ、少し経ったらまた「指針」を取り直す。そういうのが私はいいな、と思っています。
比喩は豊かで、ステレオタイプに陥りそうなときには助けてくれますよね。
そこも「絶対に使わない」ということではなく、ゆらゆらと、でも「芯」みたいなものを見つけながら、ぎちぎちで苦しみすぎてぺしゃんこにならないように、生きていきたいかな、と。私はそう思っています。
「こらこら、そういう物言いはダメだよ」とお思いになったら、私にもお教えくださいね。
@2d3m13
よろしくおねがいします☺️