いや、やはりそれは女だから良い(喜んで消費している)んだと思う。しかも嘘がある(対話を拒絶して相手を欺いている)ところが良いんだろう。そういう人たちは、この「世界」に対して暗い恨みを抱えて生きている(彼らはおそらく「世界」と「女(母)」の区別がつかないほどに幼稚)。赤ん坊は「母=世界」だと思っているからそのレベル)。
車や船だったとしても、そこに女の(または男や男性器などの)暗喩があるのであれば(そういうことは多いと思うけど)、そこに倒錯的でゲスな性的な興奮や、または逆に対象への深い愛情などを表現することは可能だ。
それを具象レベルで論じること自体が、むしろ表現活動への侮辱行為だと思う。
(例えば、清志郎の「雨上がりの夜空に」は、アレは車の話ではなくて、女の話ですよね。そう聴かなければ、作品としての価値を理解したことにはならない)
From: @hachiware
https://toot.blue/@hachiware/113700548156635624 [参照]