人間って、揉め事があるとどうしても心がざわついて、宥めて収めたくなる生き物なのよ。で、その時一番手取り早いのは、抗議している弱い方を黙らせることだから。
もっと穏やかにとか、そんなこと言っても通じないよとか。そんなつもりはなくても結果としてはそうなってる。
そう言う時に大事なのは、ざわついている自分の心と、その揉めごとの間の距離を取ること。線引きをすること。
何であれ、揉めごとを起こしている人たちにはそれなりの理由があってそうなっているので、本気で自分は自分で、自分の立ち位置からそこにコミットする気がないのであれば、少なくとも自分の心のざわつきの不快感を収めるためにそこに嘴を挟まない方がいい。
大抵の場合、それは余計なお世話にしかならないから。
揉めごとって大抵の場合、それが真面目なものなら(立花孝志みたいなやつがやってるのは無価値だけど)、本来、生産的なものだから。
真面目な揉めごとなら、自分はそれら皆んなにコミットしてる気力、体力、知力がないけど、誰かがそんな私の代わりに言ってくれているくらいに思っていた方が良いことがほとんどだと思う。中身はよく分からなくても感謝しといた方が良い。私はそんな風に考えている。
揉めごとは真面目なものであるなら(繰り返すけれど、立花孝志みたいな不真面目な奴らの不真面目で倒錯的な騒ぎはその限りではない)ものすごいエネルギーを注ぎ込んでやる必死のコミュニケーション。人間はもし結果に繋がらなくても必死で訴えなければならない時がある。私にはリスペクトしかない。