結局、人間って、強いことを理想化して弱いことを嫌悪するから、自分の弱さを自分よりももっと弱い誰かに投影して、自分のことは強い側に同一化したような気持ちになることで、非現実の夢を生きてしまう弱さがあるんだよな。
社会から社会的地位や経済的な優位性をたまたま手に入れることが出来た人間は、それが社会から与えられたものではなくて、自分が優れていること(自分の存在価値が高いこと)の証だと思ってしまうし、
それ以外の大多数の弱い側の人間は、自分は弱い側ではなく、その「優れた(彼らの考える“優れた”は、イコール“力を持っている”)」側の人間だと思いたがるから、本来は自分の仲間である人たちを軽蔑し、貶めることで、自分の優位性を確認せずにはいられなくなる。
そうすると「自分は強い側だ」と思いたい人たちにとっては、女は女であるという時点で、弱くて見下す対象にカテゴライズされるから、自分は女とは違う!と思うと、女性の候補者になかなか共感できない。投票にどうも気が乗らないみたいな機制はかなり強力に働くのでは?共産党虐めや学校の虐めと同じ。