親が投票に子どもを連れて行くことが大切だという投稿がたくさん流れてくるけど、私の場合は、親と投票に行ったことは一度もないけど(メーデーは連れて行かれてたけど)、親が投票に行っていたことは間違いなく知っていた。笑
私は、大学生の時に、住民票は実家から移さずに、別の大学に近い自治体で一人暮らししていたんだけど、(多分、それが選挙権もって最初の選挙ではなかったんじゃないかとは思うけど)ある投票日当日の夕方に、投票に行こうと思って実家で投票券を受け取ろうと顔を出したら、
母親が「遅いじゃない?あんまり遅いから私が代わりに(共産党に投票するために)行こうかと思ってたところよ」と、まぁもちろん冗談なのは分かるんだけど、冗談として何も面白くないことを言ったので(当然私が共産党に入れる前提の軽口を叩いたので)本当にムカついたことがあった。
もちろん「私が共産党に入れるとは限らないんですけど?」と、言い返したけど、あの自他の分離のできてない変な「仲間意識」の押し付けには、本当に辟易していた。
まぁ、実際にはクドクド頼まれたら、それはそれでうんざりはしていたとは思うけど。
何故かと言えば、私は彼らの言い分は、「門前の小僧」状態で、もう大概のことは理解しちゃっているわけです。物心ついた頃から、一番上の子どもだったこともあり、私が大人のことをよく観察して耳を傾けて理解しようとする性質の子どもだったこともあり、多分、4人兄弟の中で一番彼ら(両親)のことを理解していた。共産党のことも含めて、彼らの生き様も、葛藤も、私が受け止め役だった。
こう言っちゃ悪いけど「〇〇2世」的な側面が多分私の生育環境にはあって、どうしたって学校の他の子と比べて「偏って」いたわけで、
年がら年中家の中で「学習会」が行われていて、自分の家の奥から知らないオジサンが出て来ても驚かない、公道上みたいにすれ違って挨拶する…みたいな環境だったし、
学校の社会科で教わったことを母親に得意げに話すと「〇〇先生、嘘ついてるよ。義務教育は親や国の義務で、子どもには義務はないの」と、訂正されるし(もちろんそっちが正しい訳ですが)、何つーか、親の影響が濃すぎて、こっちは頑張ってる親を受け止めてあげてたけど、その割に自分のことはちゃんと受け止めて貰ってなかったので、青年期以降、親の影響を一度振り払って「自分を確立する」必要があった。