まず、人生の意味は、自分の内側にある。

それを決めるスケールが自分の外にある人は不幸。承認欲求が強い(そりゃ誰だって多少はあるとして、過剰にある)って、本当に大変。

その上で、多分、pica.picaさんの言っている「善く生きる」はそれが自分の中にいる神様との対話(スミマセン。私の言葉での表現です)なのだと思う。承認欲求の話とはちょっとちがう。

私のそれ(人生の意味)は何かな?と考えたのだけど、最近思うのは「愛する」ことかなぁ。

「愛せない」人は本当に不幸ですよね。

対象は別に人間でなくても、虫でも芸術でも学問でも何かの社会運動や政治活動でも何でもいいと思うけど。

例えばネトウヨやインセルは、何か(例えば安倍晋三)を愛しているようでいて、その実本当に恋着しているのは自分自身。で、じゃあ自分に興味を持って愛しているかと言えば、そういう訳でもない。全員ではないかもしれないけど、ジャニオタにもそれは感じる。あの人たち、本当にジャニタレを愛しているんだろうか?と。

で、「愛する」って何かと言えば、これは前にも書いたと思うけど、「興味を持って知りたいと思うこと」だと私は思っている。興味を持つこと、分からないと思うこと、だから知りたいと思うこと。人生に対しても世界に対しても。

あ、あと、私が「自分の中の神様との対話」っていう時の神様は、私の中にいるけど、私ではないものなんですよね。

完全に私だと対話が成り立たないから。笑

「私の中にいるけど私ではないもの」と対話する。そういう存在があることが人間を社会的存在にする。

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それと、愛にしても、興味にしても、自然に湧いてくるものなので、努力してその気持ちを持とうとして持てるものではなくて、だから例えば(自分や他人が)叱りつけたりして自分に「頑張らせて」持とうとするのはむしろ逆効果だと思っている。

自分の中にないものを無理に要求されたり、強制されたりしたら、普通は人は余計に拒絶感が強くなるだけですからね。

だから道徳教育のように、外から教え込んだり導いたり強制するのはダメ。

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