はたと思い出したが、私は幼稚園生だった頃に、駅の近くの路上に常駐していた二人組の傷痍軍人を見ている。日本の敗戦からまだ30年も経っていないのだから、戦闘で身体に障害を負った兵隊さんも当時は50代から60代であった。

明日で敗戦79年で、その頃から戦中までの年数の二倍以上の時間が、私が傷痍軍人を見ていた時から時間が経っていると思うと、自分もまた戦後の人間であったのだなー、と思う。

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私も子どもの頃に彼らの姿を見たことのある最後の世代です。あの中には日本政府から戦後の補償も受け取ることができなかった在日朝鮮人の人たちがいたのだと、ほんの何年か前に、Twitterで早川タダノリさんに『忘れられた皇軍』という動画を教えて貰うまで知りませんでした。この歳になって初めてそれを知ったことが私にとってはとても衝撃的な体験でした。

少なくとも私が見かけた中の何人かは、障害を持って仕事が出来ないだけでなく、従軍で受けた障害なのに在日朝鮮人だと言う理由で、国の補償さえ与えられず、あのような形で日銭を得るしかなかったと言うことです。

そう言うことは割と子どもに教え込むうちの親からも一度も聞いたことがないので、もしかするとうちの親も知らなかったのかも知れません。「傷痍軍人さん」だとは教わっていましたが…。

子どもの感覚だと、大人たちが戦争の思い出話をしていても「はるか昔のこと」のように聞いていましたが、今思えば私が生まれたのは戦争が終わって十数年しか経っていない頃だったので、大人たちの感覚では「ついこの間の出来事」だったのだろうなぁと、この歳になって思います。

あの傷痍軍人さんたちの姿は、私たちの世代がギリギリ目撃した「戦争の尻尾」だったんですよね。

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