「相手を変えることはできないので自分を変える」というメソッドは【加害者】に対して使うもので【被害者】が使うものではないのですが、日本ではどうもそれを巧妙に逆転させているようです。

【加害者】に「暴力を使って相手の考えを変えることはできません。暴力に頼る自分を変えましょう」と言うのが正しいあり方。

しかしながら【被害者】に「暴力を振るう相手は変わらないので、暴力を振るわれないように自分を変えましょう」としているケースが多すぎる!

これ、被害者にも言います。

何故かと言うと、相手を変えることに夢中になって、「変わる見込みのない相手」から離れられない人が結構いるからです。いわゆる「共依存」の状態では普通にそのような現象が起きます。

親子なんかでもそう言う現象はありますね。もちろんそれは「怒るな」とか「不満を言うな」と言う意味ではありません。

怒ったり、嫌なことに嫌だと言ったりすること、権利を主張することはとても大切ですが、それで変わらない相手もいるので、その相手を変えようとすることでその関係性がどんどん余計に絡まることがあります。

つまりそのような関係性に陥りやすい人の場合、自他の境界をしっかり確立することがとても大切になります。相手は変えられません(方に訴えるなどの強制力を使って行動を変えさせることは可能でも、人柄や心の内は本人のもので、外からの働きかけではなかなか変えられません。本人が自発的に変わりたいと動機づけを持たない限りは人は変わりません。

「他人の心を変えられない」のは「単なる客観的な事実」であって、そこに被害者、加害者は関係ないし、善悪も関係ありません。理不尽と思われるかも知れないけど。

From: @mzknipo
songbird.cloud/@mzknipo/112518 [参照]

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