ゴミ箱がないからポイ捨てする仕組みがわからないですね。

こういう“真面目っ子”だらけの国は早晩滅びるんじゃよ。

ちょうど良い機会なので、この場を借りて説明させてもらうと、

ここで言う“真面目っ子“の状態は、精神分析的には「超自我が強い」と言います。

別の言い方をすれば「自我が育ってない」。

自我が育っておらず、超自我が強い人は、他者の自我に対して非常に厳しいですし、超自我の要求があまりにも厳しい場合は、結局、生身の人間はそれに応えきれないので、それに応えられていない現実の自分の姿の否認が起きて、側から見たら言ってること(他者に要求する道徳)と、自分がやってることの乖離がとても大きい状態になってしまうこともあります。…例えば自民党の政治家のように。

また自我が育っておらずに超自我が強い状態は、外から見ると剥き出しのイドと超自我のどちらかが突出してくるので、ものすごく真面目だと思うと、怖い人が見ていない場所ではいきなり崩れたり欲望剥き出しになったり、幼児返りを起こしたりするような安定しない状態の場合があります(自己が未統合)。

From: @nz
misskey.pm/notes/9tbh6felnbw5n [参照]

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または、ただひたすら真面目に自分を抑えつけて、超自我に圧倒されているような感じになっていると常に周囲に監視され非難されている感覚が強くなるので狂気に近くなります(自分が許すことのできない自分の側面を他者に投影したり、またはその側面を非難する超自我を他者に投影したりと言ったことが起きます)。

上に書いたような“真面目っ子“ばかりの国は、国自体がある種の集団狂気に陥ります。今の我が国の姿です。

以上のようなこと自体は、善悪の問題というよりは、人間の心を科学して、客観的に観察した場合にそのように動くものだという事実について説明したものです。

道徳とか倫理とかヒューマニズムとかではなく、例えば身体の解剖のような、単なる事実です。人間の心の仕組みです。そのこと自体には、ある意味では良いも悪いもないし、恣意的に思った良い方向に変化させようとして思い通りになるものでもない。

ただ、そうなる仕組みがわかれば、そうならない仕組みも一応わかります。

つまり人間は超自我的に接すれば接するほど、育てられれば育てられるほど、思考力が壊されて自律性を失い、狂気に近くなるのですから、逆に、自我を大切に尊重されて、超自我やイドとの折り合いを上手に付けられる力を育てるような教育や社会が大切だということです。

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