例えば「日本の観光地にゴミが散らかっている」ということの原因を考えた時に、ごく当たり前に「今の日本は街中にゴミ箱が少なすぎる」という原因に行き着くことが出来なくなっている日本人があまりにも多いんじゃないかという気がしてならないんだよな。
もちろんTwitterは意図的に騙されたデマや理屈に合わないおかしな情報などが氾濫しているから、リアルな世界の住人の思いが必ずしもTwitterに反映されているとは限らないにしても、
でも、リアルな世界で「どう考えてもゴミ箱が足りないよね?もっと設置してもらえるように行政に働きかけよう」って普通に頭使う人はものすごく少ない気がしてならない。実際にその人が働きかけるかどうかはともかく、少なくとも個人の脳内でそのような思考が働く…みたいなことが起きていない。
そして、訳の分からない、「外国人のマナーが」的なメディアまで協力しているプロパガンダに何となくでも引きずられる。
今も、海外在住派のインフルエンサーの1人の方がTwitterで、諄々と理を説いて、「日本にゴミ箱が足りないことが原因なんですよ。こんな国は他にありませんよ」と一所懸命説明されているのを見かけたけれど、一旦思考回路がおかしな方向で固まっちゃっている人たちには、どんなに丁寧に説明しても、極々自然な論理の帰結の方向への出口が塞がれちゃってるので、多分、説明するだけ無駄なんですよ。本当に…。
私はそのような人たちの面接を何年もかけてやっているので、その徒労感が如何ほどか、もう本当に身に沁みて分かるのですが、それだって面接だったら遅々として進まないように見えても、多少なりとも変化は起きるんですが、普通の日常会話では、多分、とてもとても大変だと思う。私なら最初からやりたくない。
「お気持ち」の問題なのは、基本的には被差別者の方ではなく、差別者の方です。
「基本的には」というエクスキューズを敢えて私が付けているのは、被差別者も幼い頃からその関係性の中に取り込まれて、それを心理的に自分のアイデンティティに取り込んでしまっていることは少なからずあるので、そうすると双方で同じダンスを踊っている…みたいなことは起きるからです。
一番わかりやすいのは、私は女性ですがその差別構造が私の人格の奥深くに組み込まれていて、自らそれを強化してしまう方向に自分が動いてしまう(考えてしまう)ことがあることを私は知っています(なので私は例えばDVなどで女性のクライアントがきた時もその方を“ただの“被害者としては考えません。もし本当に純粋にただの被害者だったとしたら、そもそもその人の心理療法は必要がなくなる。必要なのは応援団とか仲間だけで十分)。
しかし、話を元に戻して、基本は、「お気持ち」の問題を抱えているのは差別する側です。しかし彼らは自分たちのその「お気持ち」を否認して、「悪いのはあいつらだ!」とやる。
だからその気持ちを聞き続けて、例えば「やっぱり本当は自分に自信がなかった。だけどそれを認めたら負けで、もう二度と立ち直れないと絶望していた」と本人が感じて楽になれるところまでやる。