(T.Katsumiさんのツイート↓)

Xenophobiaのphobia は実際は「嫌い」「恐怖」よりもっと強い言葉で表される。「嫌悪」と。phobiaはそのままでは「恐怖症」だが、社会・集団的コンテクストで〜phobiaと使われる場合、バイデン大統領が別の演説で述べたIslamophobiaのような場合は、「恐怖」ではなく「嫌悪」「憎悪」即ちhateを表す。

twitter.com/tkatsumi06j/status

(引用されているNHKニュースのツイート↓)

アメリカのバイデン大統領がイベントの中で「なぜ日本は問題を抱えているのか。それは彼らが外国人嫌いで移民を望んでいないからだ」と発言したとロイター通信などが報じました

x.com/nhk_news/status/17859316

x.com/nhk_news/status/17859316

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(T.Katsumiさん続き)

精神障害用語としての症状としての〜phobiaは、たとえばclaustrophobia (閉所恐怖症)、acrophobia (高所〜)、anthrophobia (対人〜)等、厳密に“何かを恐れる“「恐怖症」の意味として扱われるが、個人の精神障害のコンテクストと集団的・社会的なそれでは意味が変わる。

news.yahoo.co.jp/expert/articl

だからxenophobiaは「外個人嫌悪」、islamophobiaは「イスラム嫌悪」と訳される。それだけに、バイデン大統領が「外国人嫌悪」を使ったことの意味は重大かつ深刻でもある。

t.co/u0ZWqKkK0Z

日本の社会に内在する「外国人嫌悪」の性質は、少子化が進む中で必要不可欠な外国人の受け入れを推進する上で大きな障害となっており、これ以上の経済成長の可能性を妨げるであろうという意味で的確だ。

それは、たとえ外国人労働者の受入拡大(「技能実習生」制度など)を行なっても、この「外国人嫌悪」が根強いため社会全般が革新的な政策についていけず、政策が有効に機能しないことにも表れている。社会が「外国人嫌悪」の殻を破れないでいるからだ。

(T.Katsumiさん続き)

バイデンは非常に単純な言い方でこの問題を乱暴に言い表したが、足下の日本にとってはこれは自覚せざるを得ない重要な政策的・社会的課題だ。単なる不見識だとか、他国とくに同盟国のことを語る上で不適当・不適切を断じて蓋をすればいい現実ではない。この現実を直視して手当てするのが政治の役割だ。

だが日本人個々人が「否認するレイシズム」に隠れた外国人嫌悪を自覚しなければ、政治の力だけでなんとかできるほど浅い問題でもない。そういう意味で今回のバイデンの発言に対するヒステリックとも言える激しい反応は、多くが未だ「否認するレイシズム」の自覚を持てないでいることの証左だろう。

(参考)話題のナイキ広告で噴出…日本を覆う「否認するレイシズム」の正体 @gendai_biz gendai.media/articles/-/77893 by 社会学者・ケイン 樹里安(故人)

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