例えば、夫のDVとか、アルコールの問題とかがある夫婦の、妻の方の心理療法をする場合、妻は夫をコントロールすることで頭が一杯なので、それ(コントロールしようとすること)を止めさせるのが大事。

ただ「止めさせ」ようとすると、今度は私が妻をコントロールすることに熱心になって囚われてしまう。だから、正確にはそのような表現ではなくて、自分本位で考えられるように支援していくことが大事。

人間は誰か他人をコントロールしようとすればするほど(実はそんなこと現実には不可能)、実際には、寧ろ自分が相手にコントロールされてしまう…振り回されてしまう結果を招く。

相手が自分の思った通りにする(「アルコールを飲まなくなる」「こちらの努力に気づいて悔恨の涙を流す」など)「ためにはどうしたら良いか」という発想をしている限り「その時点ですでに負けている」。

なので、必要なのは「相手がどういう反応をしようと自分は何を求めていて何をしたいのか」という、軸足を自分の方に置くこと。相手に心奪われない。

怒ってるなら怒るとか、嫌なら嫌というとか、もっと大切にしてほしいでも良い。それは私の自由。相手がどう反応するかは「ある意味では」相手の自由。

その反応に耐えられなければ、別れるとか見捨てるとかいうことを選択するのもこちらの自由。

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この、相手を見張っているうちに自分が囚われの身になって、しまいに相手と自分、どっちがどっちだか、分からなくなっていく現象を描いた小説に、ポール・オースターの『幽霊たち』があると思う。

そう言えば、ポール・オースターも、作品の中で息子のことを書いていたことで、息子に訴えられたか何かしていたな。

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