Twitter、私はそんなにフォロワーいないし、多分感覚は全然違うんだろうけど…
打てば響く者同士で分かってもらえる満足を満たしあってても仕方がない気が私はしてしまう。
Twitterでもここでもそうだけど、アウトリーチのための発語というか。
千人にひとり何か届いて小さな波紋が起きれば良いのかな、みたいな。
それもダイレクトな共感でなくても良い。その人の中で生きた何かが起きれば、私と同じでなくても良いかな。
Mastodonはフォロワーの人数は少ないけど、前にも書いたけど、連合とかにも私の言葉が流れていくのが私にとっては何か希望になってる。
何れにしても、少なくともリアルの知り合いよりもリーチする範囲はすごく大きいから。投げた小石が誰かに当たる確率はリアルよりもそれでも高い気がするんだよな。…ん?確率は同じで、母数が大きいってことかな?
あと、互いが影響しあって、ある種の化学変化みたいなのが集団として常に起きている感じはなかなか私にはエキサイティングに感じられる。
人間の集団って、それ自体がひとつの有機体みたいな動きをする気がするんだよな。ファシズムなんかもそれを利用したものだけど、Twitterみたいな言語を介したものは思考を促してしまうので、ファシズムとは反対の動きが醸成される。