地位のある者、権力勾配の上の者の怒りには、皆んなやたら敏感だけどね。表情筋のちょっとした動きにさえ、敏感に上司の虫の居所を察知する。
ベクトルが逆の(上から下ではなくて、下から上に向かうような)怒りには、日本人はものすごく回避的な行動を取る。
冷笑しないまでも、目を背け、よくわからない笑顔を浮かべ、口先だけ合わせたり、「まあまあまあ」と、楽しい話題に切り替えたり。思いやるように、「あんまり怒ると身体に悪いですよ」とか、「そんなに悪くとるものじゃないですよ」とか。
@zpitschi まあそもそも主張できる勇気があるなら海外に行って主張するんでしょうね...
そんなに大袈裟な話ではなくて、私が頭に思い浮かべてるのは、本当に日常的なあれやこれやなんですけどね。子から親にとか。妻から夫にとか。部下から上司に。後輩から先輩に。生徒から教員に。
本当に、日本って、遠回しにしかものを言えない社会なんですよね。
立場が上の者はそれが(下から何か言われないのが)当たり前だと思っているので、言われると咄嗟に不機嫌になるんだけど、結構無自覚なので、意図せずに意地悪な態度を取ったり冷たくしたりする。
そこはかとなく、さりげなく、笑い者にして、周囲の同調した笑いを何気に促すとか。そう言うことに、日常のちょっとしたことでも抵抗するのって意外と大変なんです。
普通は下の者も、意識せずにわきまえて振る舞うのが習い性になっているから、自らその則(のり)をこえた行動をとるのは(つまりは相手が“意外な“感じを受ける、“ナマイキな“ことをするのは)自分自身の中のハードルなりを打ち破らなければいけないことで、実はそれは人間にとって簡単なことではない。
人間は無意識のうちに、子どもの頃から叩き込まれた自分の行動規範という牢獄に自分を繋いでいるものなので。そこから一歩踏み出すのはとても勇気がいる。誰にとっても。
結局、社会を変えていくのも、実は一人一人のそういう一歩前に足を出す行動なんじゃないかと私は思っていて、もちろん政治やイデオロギーなどの話はとても大事だけれど(だから私もできるだけそういう話をするのですが)、そういう言葉を上から振りかざしているだけでは、世界はきっと変わらないと思っています。
@zpitschi 本当にそうですよね~根っこが奴隷性質何ですよね〜歯向かったら殺されるから大人しくしてようぜそれが利口ってもんよ〜というね〜大人しく言う事聞き続けてきた結果もうたくさんの仲間が死んでいった殺されてしまった今なのに