(Yutaroさんのツイート↓スレッド)

私が子どものころ、小学6年生の子が、母親の乗った電車に一緒に乗れなくて、線路に降りて走って追いかけて轢かれて亡くなったというニュースを見た。私は6年生でそれは考えが足りないと言った。母は、そういう子もいるのよ、お母さんの気持ちを考えると苦しいとニュースを見ながら泣いた。思い出した。

twitter.com/yutaro_today/statu

小学生だった私は、線路に降りたら危ない、駅で待てばいい、駅員に言えばいい、母親も子どもが間に合わなかったら自分も乗らなければよかったのに、と偉そうに言った。母は、人様にどんな事情があるかなんて他人にはわからない、何も知らない他人がこうすればなんて言うのは傲慢と言います、と言った。

こうすればよかったっていちばん思っているのはあのお母さんよ、あの子は必死で追いかけるくらいお母さんが大好きだったのよ、そういうお母さんと子どもだったことはわかるでしょ、何か事情があったのよ、あなたもわかってても思うようにならないことがあるでしょう、人には事情があるの。

令和の新しい子育てや発達の知見なんて持っていなくても、昭和のあのころにも、「人様の事情」というものの見方があった。知識なんかなくても人は謙虚であれるんだよ。

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(続き)

「あれは障害のある子ですよ」って言われて「知らなかった」とか「それならあらかじめ何とかすればいいだろ」とか言ってる人。あの日の私と同じくらい無知で傲慢でちっちぇーよな。せめて自覚しようぜ。私もちっちぇーけど、事情も知らない人様のことを、強者の位置から嘲笑しないようにするから。

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