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私は、これは子どもの頃からの傾向だと思うけど、怖いものがあると、余計にしっかり見て見極めたいと思っちゃうところがあるんですよね。

見る辛さよりも、見ないでおく不安の方が多分強い。

だから、例えば、子どもの頃にうちにあった確か本多勝一だったか、戦場の酷い写真の載った写真集なども「見なければ」「目を背けてはいけない」みたいな気持ちで見ていた気がする。

見えてないと余計こわい。

注射してもらうのに針が腕に刺さる時、目を背ける人、多いけど、私は針先をガン見する。

若い頃付き合ってた彼がバイク乗りで、タンデムしていて峠を攻めていてカーブで車体が傾いた時に、前が見たくて身体を起こして思いっきりコケさせたのは私です…みたいな。😆(死ぬかと思った)

今も、誰の心の奥にもある、人間の心の奥底の、魑魅魍魎が跳梁跋扈している世界から目を背けられない私がいる。

だけど、そこから目を背けず、見尽くした上で、それでも見出せる希望があると信じたいんだよ。人間に醜いところがたくさんあるのは知っている。それは「悪い人」にだけあるのではなく、誰にでもあまねくある。悪い人にだけあって、私にはないと言うのは、私は自分への欺瞞だと感じる。だからと言って中途半端に「悪い人」に同情する人も私は信じない。本当のことが知りたい。

夫は怖いって分かってるものは見たくない人なので、それでいつも喧嘩になったりする。

例えば、是枝さんの映画「誰も知らない」を一緒に観ようと誘っても「怖いから嫌だ」と断られる。

前に九州に2人で旅行した時は、私が知覧で特攻記念館の見学がしたいと言った時も「怖いから嫌だ」と。結局、私が強引に希望を押し通して2人で見学したんだけど、午前中に見学したら、もう二人ともボロボロになっちゃって、午後の観光をする元気がでなくなっちゃったことがあって、あの時ばかりは夫の「だから嫌だって言ったんだよ」に、同意せざるを得なかった。…でも見れてよかったですけどね。

デモも誘っても頑なに嫌だと言われてたんだけど、この間、初めて入管法改悪反対のシットインに付き合ってくれました。

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