私がいつも思うのは、愛されたいばかりで、愛することが出来ない人の多さなんですよね。
モテって概念は、自分の価値を他者に認めてほしい欲求。もちろんそれも人間には当然誰にでもあるんだけど。
でも、自分の外に自分が憧れたり恋焦がれたりする自分を凌ぐ価値を認めて、それを愛するのって、それがたとえ片思いでも、自分が愛されることよりも、本当は人生を豊かにすることだと、私は思うんです。
その対象は別に必ずしも恋愛対象としての人でなくても、学問でも、芸術でも、なんかの特殊な虫でも、車でも、何でもいいと思うんだけど、自分の飾りやアクセサリーとしてではなく、自分の手の届かない、憧れの対象、価値のあるものとして、求めてやまない何か(そこにリスペクトの気持ちがあると言うか)がある人って、それだけで幸せだと思うんだけど、今の人って、それを持つのがとても苦手な人が多いんですよ。
手に入らないものに価値を見出して求めるって言うことに惨めさを感じちゃうみたい。
その対象が人である場合はなおのこと。要は「片思い」に耐えられない。
それに対して「推し」みたいな概念はちょっと持ち物的な、消費物みたいなニュアンスがあるから、比較的ハードルが低いんだと思う。自己愛が傷つかないんだよね。
本当は片思いって、一番最高な恋だと思うけど。
愛されること、慕われること、求められること、必要とされること、人気者になること、…みんな自己愛(ナルシシズム)に気持ちが行っているんですよ。
くらたまさんみたいな人も、なんでダメンズに惹かれるかと言えば、「私がいないとこの人はダメだわ」と言う気持ちを満たしてくれるからで。
要は「一番可愛いのは自分」というあり方なのよ。ダメンズに散々尽くしているように見えて、本当は自分のことばかりで頭がいっぱいの状態。相手のダメンズもそう言う人。
自分はこんなに愛してるのに、求めているのに、なのに相手はそうじゃないかもしれないって、結構怖いことだから。それは自己愛をとても傷つけることだから。
それでも、愛したり、大切に思ったり、憧れたりすることは、それは自分の心の中の自由だから、別に心の中で思うのは勝手だから、その自由を獲得すると、人間、幸せ度がうんと増すんだよね。相手の反応に振り回されず、相手に縛られなくなる。