私もそうだけど(理由もそうなのかもしれないけど)、別に悪いことだとも思ってないけどなぁ。そう言う人間もいて良くね?

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私は問題が発生したとき、「この問題を解決しよう・それにはどうすればいいか?」ではなく「なぜこのような問題が起きるのか?」と仕組みのほうに興味がいってしまう。それは社会問題でもそうで、例えば今日だと入管法を止める具体的行動を起こすのではなく、なぜこうなってしまうのか?を考えるほうにエネルギーを使ってしまう。これがいいとは思っていない。一種の逃避であることが分かっているので。
で、なぜこういう思考パターンが身に着いたかというと、子ども~十代まで(いやもっと、二十代までかも)なにをやっても褒められず無力感がすごく、そのくるしみに直撃されないために、自分の状況をメタ的に外側から見ようとする癖がついたのだと自分では思っている。その癖がいまだに抜けず、いまもこうやって自分語りをしてしまう。 toot.blue/@sierie/110274753166

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…って言うか、私の理想とする社会は、皆がそれぞれ、目先のことではなくて、一旦メタレベルで考えられるようになる社会なんだよなぁ。

だから、人が見てようが見てまいが、メタレベルの話を一所懸命、Twitterでも、ここでもしている。そう言う風になったら、世の中絶対に今よりも良くなると言う確信があるんだわ。

メタレベルの思考って、別に学者さんみたいに小難しいことを考えることでもないし、フワフワした実態のないことに遊んでいる話でもないと思うんだよな。

例えば、漁師さんだって、農家さんだって、香具師だって、メタレベルで考えてる人っているし(寅さんなんて結構そう言うところありますよね)、逆に大学の先生でも「この人、すごい物知りだけど、メタレベルでものを考えられない人なんじゃないか」って思うこともある。

実体から、より本質的なものを掬い取る直感みたいなものが必要ですよね、多分、メタレベルの思考って。だから全然フワフワしてないし、ある意味ではより本質的で現実っていうか真実にアプローチするものだと思うし。

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