仕事で他人の話を聴いていてつくづく思うんだけど、価値とか意味とかって、結局、主観でしか測れないものなんですよね。
皆「自分には価値がない」と思って苦しんでいるけど、大抵そう言っている時って、外からの生産性とか見栄えとか何とかの尺度で自分を測っている。
でも本当は意味とか価値とかって、結局、本人にしか分からないもので、「自分にとって」って事でしかないから、他人の尺度とか客観的な数値とか関係ない。
若い頃はどうしたって、外からの評価に翻弄されてそれが見えなくなって、不安で仕方なくなっちゃうけど、何のことはない、自分にとって何か一番大切かって、実感できるようになると、案外ブレなくなる気がするんですよ。
例えば、今、私は死にそうなお爺さん猫の世話で毎日必死なわけだけど、それに客観的に意味や価値があるかって言えば、まぁないですよね。でも私にとってはかけがえのない猫なわけで、そこに理由なんかないけど、それはもう間違いのないことだと私は確信している。
星の王子さまに書かれていたのもそう言う事ですよね。自分にとってかけがえのない何かがあると言うことは何よりも幸せなことです。
誰かに(皆に)とってかけがえのない自分でありたいと苦しむことよりも、誰か(何か)をかけがえがないと愛おしむ気持ちが人を幸せにしますね。
どうせ何日かしたら死んじゃう猫の命に何の意味があるのか、とか。
どうせ私も、長くてせいぜいあと二、三十年もしたら死んじゃうんだし、別に歴史に名を残すわけでも、子孫を残すわけでもない。
実家とも縁を切っちゃったし、友だちや知り合いも、不義理ばっかりしてて、それどころか、言いたいことを言いまくって、わざわざ喧嘩売って疎遠になっちゃったりとか、たくさんあって、葬式するにしたって呼ぶ相手いるのか?という状態ですし。
なのに今、一所懸命、社会のことを考えたり、本読んだり、いい歳して今もモタモタ勉強したりして、そんなことに一体何の意味があるのかって、外から見たら意味も価値もないですよ。
だけど、私にとってはその1日1日が大事だし、17年前にたまたま拾った野良の子が死にそうになってるのが悲しくて堪らない。1日でも心地よく長く生きて欲しいと思う。
そもそも人間にとっての生きている意味とか人生の価値とかって、そう言うものでしかないと思うんですけどね。