受け取り方はいろいろだろうし、ご本人がどう思ってるのかも知らないけど、私から見ると、野間さんって、人間としてネトウヨにとても“親切“なんじゃないかと見えてしまう。ある意味でものすごくよく「付き合ってあげている」と言うか。
怒ったり叱ったり罵ったりしてくれる誰かを、彼らは心の底では求めていると思うから。普通そこまで付き合うの嫌だからね。中学生とか子どもならともかく、いいオッサンに中学生みたいに“甘えて“こられても。
管理教育は徹底して“問題“はクリーンに封じ込められたり暗黙裏に揉み消されたりし続けるうちに大人になっちゃった連中が、いつまでも構って欲しくて拗れちゃってる感じにも見えるからな、あの人たち。回転寿司のペロペロなんかもそうなのかも知れない。
成田何某だってそういう側面がないとも言えない。これは彼らを擁護しているわけではけっしてないけれど(むしろ逆)、日本に叱ってくれる大人が誰もいないから、世界まで出てって叱ってもらってるようにも見える。日本は国ごと学級崩壊状態だから。
誰も汚れ役、嫌われ役、やりたがらないから。
刑務所に入れられて、やっとホッとする人とかいるから。その前に壁として立ちはだかってくれる“父“(ジェンダーは本当は関係ない)がいないのよ。“社会“としての大人と言い換えてもいい。
もしかするとだけど、マストドン(の私のtimeline)にどうしても私が感じている、このクリーンで穏やかで優等生的な空気感も、同根なのかも知れないとさえ、今、思った。
そういうネトウヨ的な幼稚さ、困ったチャン的な側面を(子どもらしい側面と言っても良いかも)キチンとコントロールして、本当は結構無理して大人をやっている人が多いのかも。
人間の中には幾つになっても子どもが住んでいるものだと私は思っているのだけれど。
私もどちらかと言えば、小さい時から抑えて生きてきたタイプだと思うんだけど。
なんか、両極に分かれちゃっているのかも知れないなと今ふと思った。
私の仕事はどっちかっていうと、抑えちゃって苦しい人の子どもの部分に出会う仕事なんだけど、それだって本当は自分がして欲しいことをしているだけのような気もするし。ネトウヨやインセル的な、一見、ダダ漏れみたいな人だって、本来的に上手く子供らしさを体験できていないのでこんがらがってしまっている訳だし…と言う風に少なくとも私の目には映るって言うことですが…。
私は野間さんみたいに親切…というかキャパが大きくないから、限定された時間と空間でしか付き合わない訳だけど(キャパがそれでいっぱい)。
今必要とされているのは、かつての所謂“パターナル“な意味での“父“ではないんだと思う。
それどころか今その役割を負わされてるのはフェミニストだから。
でもそれ女にだけやらせるの?って話で。
でもそれ、日本の家庭の中にはよくある風景なんだけど。
そう考えると、宮台真司も似たようなことしようとはしてるのかもしれないけど、古いパターナリズムを思いっきり引きずっちゃってるのかも。
日本どころか世界中が“法“を見失って右往左往している。こういう時にパターナルな“強い“リーダーの暴力的な制圧を社会は求め始める。
そうすると、そういう気持ちの投影を引き受けて、万能的な力を振るう人間が現れる。求める側の投影がなければ、独裁的な権力は成り立たないわけで。カルトだってそうでしょう。(被害者である信者をdisったり、加害側を免責したりするために言っているわけではないです。念のため)
そのある種の理想化転移(万能的で横暴で強大な存在を映される)を引き受けずに、しかし“父“として機能し続ける人や…本当は機能する制度を持った社会を、今、皆が必要としているんだと思う。
でも、本当はそれ(暴力的ではなく、万能的なヒーローでもなく、しかししっかり立ってダメなものはダメと宣言して、びくとも動かない社会への安心と信頼を与える大人の役割)は、少数の個人に負わせる役割ではなく、大人が、社会が、皆んなで少しずつ分担しないとダメなんだと思う。
@zpitschi 深くて難解な課題ですね。大事ですが。
そういった事をどこかて学べる機会は無いものかと、何時も手探り状態です。
彼らは何とかして所謂“パターナリズム“(“折檻する父“)を引き出そうとするので、それにまんまと乗せられて暴力的な力を引き出されて、万能的に力で“捩じ伏せよう“としてしまうのはとても危険。かと言って「優しい(距離のある穏やかな)」対応では彼らには届かない。
必要なのは“母“を守る父。激情に駆られて暴力を振るうのではなく、一緒の泥に塗れて一歩も引かず“否“と宣言する父なので、泥に塗れながら(つまりこっちも怒ったり罵ったり感情を動かす事)、妥協もせずに、“激情“には駆られず…みたいなのが求められてる(逆転移)。少なくとも私には無理。面接室の外でプライベートの空間で際限なく相手するって馬鹿みたいにタフでないと。
ウィニコットの「逆転移としての憎しみ」に書かれている事(あれは子ども)のおじさんバージョン。
別に理想化して持ち上げるつもりは全くないけれど、人間だからたくさん欠点もあるだろうし、やっちまってることもあるんだろうけど。
本当は世の中の大人たちがもっと彼らが子どもの頃から、普通に大人として接してあげてれば、ここまで拗れなかったんじゃないか。もう今はenvyの塊みたいになっちゃってるから、ちょっとやそっとで何とかなる状態ではない。寧ろ必要なのは“法“。だけど、それが機能していない。