そもそも今の日本社会で使われている「コミュ障」なる言葉を私は全く評価していない。

言葉として認めていないと言うか。

あれ、ただの差別用語とか、蔑称とかじゃないの?

しかもその文脈で言うコミュニケーション上手が、本当に必要なコミュニケーションを取る能力があるとはとても思えない。単に空気読んでノリよく話す人間や和を乱さない人間を指す人間を指してるよね、一般的に言って。

コミュ障と言われている方がよほど必要なコミュニケーションを取ろうとしている場合の方が多いんじゃないかと私は訝っている。

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まずは「あなたはコミュニケーションというものをどのように定義しますか」と言うところからド詰めしたい。😆

仕事柄、「僕はコミュ障だから」と言う人にばかり会う。で、よくよく話を聞いてみると、「ポンポンポンポンと皆んなにウケる楽しい話をできない」「沈黙を作ってしまう」などと言う返事が返ってくる。

最初はその人たちの勘違い(コミュニケーションというものを間違えて考えている)なんだろうと思っていたけれど、どうもそういう個人的な問題ではないようだと今は思っている。

対人関係の葛藤を冗談で紛らわして、なるべく場の雰囲気を壊さず、ムードを盛り上げる人間を社会全体でコミュニケーションが上手いと言っているようにしか思えない。気まずい空気や、深刻で暗い話を持ち込むこと、上の人間の顔色を見ないこと、黙って考え込むことは、コミュニケーションの破綻だと皆が恐れている。

そんな社会でまともなコミュニケーションが取れるはずもない。

あ、昨日の、「せっかく美味しいものを頂いているのに、こんなところで人権の話なんてするな!💢」みたいな話にも通じるよな。

彼らにとっては多分、楽しい場所で人権の話なんてするのはものすごい「コミュ障」。

虐められている子が、みんなが愉快に盛り上がっている時に、自分の辛さの話をするのは多分「コミュ障」。それどころか悲しそうな顔をしていたら、うちが貧乏でボロい服を着ていたら、その子の存在自体が「コミュ障」なのかも知れない。

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