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これ、本当にそう思う。だから自分じゃない人との出会いは面白い。知らない物事との出会いも。意表を突かれたときのあの驚きが生きてることを実感させてくれる。

(中島智さんのツイート↓)

・対人関係は「そうきたかァ」と愉しむもので、思い通りにならないのが他者

・求めてもいないのにやってくるものを「そうきたかァ」といったん受け容れることは「余裕」というより「現実認識」の問題

・他性から〈やってきたもの〉として、「そうきたかァ」と愉しむ感覚は、制作においては日常茶飯事

twitter.com/nakashima001/statu

・人生にたいして「わからない/思い通りにならない」ことは「そうきたか」と愉しむ方向にもっていくしかないんだ

・向こう側にあるもの、予測の〈外部〉にあるものがやってくる時、「そうきたか」と対峙すると、藝が発生する

・狩猟民や技芸民なら「そうきたか」とわくわくできるが、近代人は不得手

twitter.com/nakashima001/statu

あと、これ、もうひとつ今思ったんだけど、ここで言うところの“他性“は、外からも来るんだけど、内側からも来るんだよね、自分の。

「そう来たかぁ」は、自分が知らなかった自分に出会った時にもあると思う。

だから自分が面接を受けるのは面白いんだろう。自分の外側の“他性“を楽しめない人も多いけど、そう言う状態っていうのは、大概、自分自身に好奇心と興味を持って自分の中の“他性“との出会いを楽しむことができていない時に起きると思う。

もちろん、自分の外であれ内側であれ、他性との出会いと受け入れは、時にとても苦痛をもたらすこともある。特に自分の内側だと切り取って捨てることも関係を終わらせることも出来ないので。ただ「楽しい」という感覚とは違う。時にはとてつもない痛みを伴う。だけど、それでも、その体験は生きている実感を与えてくれるものだと思う。

(南の島のPさんの上記のツイートへのリプ↓)

この"変性意識"って、逆境体験から自己を守るための「解離」という症状ですね。さまざまなトラウマを抱えた女性の、その防衛規制すら利用して性行為をしようとする、全くの性加害者でしかありません。
あまりのことに、読んで動悸が止まりません。怒りしかない。

twitter.com/usyokasa/statu…

twitter.com/psychiatrymcu/stat

上記、最初のツイートのツイ主さんの垢名を誤表記してしまいました。すみません。訂正します。

ushokasa → usyokasa

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