私に言わせれば、感情は誰にでも当然あるわけです。そして人間にとって無くてはならないものですね、当然。

あと、感情は理屈の前からあるので、「出モノ腫れモノ」の類で、勝手に出てくるもので、基本的にはそれは意志の力で変えることはできません。

自分自身の感情でさえ、本人でも勝手に変えたり、無くしたり、または無いものをあるようにするとか、“絶対に“無理なんです。

ましてや本人以外の人間が、誰かの感情を、例えば本人を思って「明るくさせてあげたい」という善意からでも、または自分勝手な願望から「(私への)感謝の気持ちを持たせたい」とか思って、あれこれ策略しても、当然、無理です。

で、じゃあ、たとえば心理療法などで、何ができるかと言えば、私に言わせればですが、出来ることは「(その人が)自らの感情をそのままに生き生きと感じられるようになること」くらいなんです。感情にはいわゆる“ネガティヴな“感情もありますし、“ポジティヴな“感情もありますが、その両方ともその人にとっては大事な感情なので、どっちも恐れたり忌避したりせずに、自然に感じられるようになると、その人は、その感じた感情を自分の中でじっくり味わった上で、理性と相談して行動(発言も含む)を決めることが出来ます。

…つまり感情に振り回され難くなるということです。

例えばですが、

よくいる「俺は感情的ではない。いつだって論理的だ」みたいな人は、本人がそう言ってることからも分かるように、本人は自分の感情を全く理解してないわけです。

それとその言葉からもう一つわかることは、感情というのものがあたかも悪いものであるかのように思い込んでいる。そういう思い込みがあると、自分の中の感情はないことにされるので(あったらとってもみっともないと思ってるから)、まったく自分の感情と交流できなくなってしまう。

その結果、何が起きるか。

怒ってない筈なのに、他人を殴るとか、羨ましくない筈なのに自分よりできる人に意地悪するとか、好きなわけではないのに付きまとうとか、自分でも制御できない行動をとることになり、しかもそれを相手のせいにする。相手が悪いから、相手が誘惑したから、など。

百歩譲って相手が本当にそうだったとしても(可能性はある)、それで殴ったり付き纏ったりするには、自分の方の怒るとか、好きになってるとかの感情がある筈なんだけど、それはすっ飛ばして説明する。

ネガティヴであれポジティヴであれ、感情があること自体は何の問題もない。極端な話、誰かを殺したいほど憎んでも殺さなきゃ良いわけで。むしろその感情を自覚できない人の方が突発的にその感情が突出して行動に出てしまう訳です。

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自分の感情を変えて貰うことを期待して、心理療法を受けにくる人は結構いますけど、「そんな初めて会った見も知らぬ人に、自分の感情を変えられたら怖いと思わないのかなぁ」と、私はいつも思います。

そんなの、嫌ですよねぇ。

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