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【9/20】モーゼスの「霊訓」(下)第31節 進歩と堕落 akito-takizawa.com/2024/09/20/
絶対的摂理の存在

理想が高すぎるとの意見であるが、そのようなことはない。もしも高すぎということになれば、高き理想は向上心に燃える魂を鼓舞するためにしか役に立たないことになります。

確かに向上心のない魂にとっては高すぎるであろう。が、人生が利己主義と罪悪とによって蝕まれていない者、熱誠に燃え、ますます向上せんと心がける魂にとっては決して高すぎることはない。

友よ、よくよく銘記されよ。人生には、いかなる者にも逃れ得ぬ摂理というものがある。人生とは旅であり、闘争であり、発展です。その旅は常に上り坂であり、しかも道中は茨(いばら)に満ち、難路の連続です。

闘争は目的成就まで絶え間なく続きます。発展は低次元より高次元への霊的向上であり、地上の幼児的人格からキリスト的大人の霊格への発達です。この摂理だけは絶対に曲げられません。悪との闘争なくしては完全なる善への到達は望めません。

自分を取り巻く邪悪との葛藤を通して純化されていくのが、永遠に変らぬ必然性です。神より放たれた火花が、その父なる神のもとに帰り、その御胸に安住の地を見出すに至る道なのです。

真の幸福は、最高の理想を目指して生きることによっての

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