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【9/9】モーゼスの「霊訓」(下)第24節 霊的啓示の黎明(れいめい)と黄昏(たそがれ) akito-takizawa.com/2024/09/09/
モーゼスの不満

– では、なぜ私にその人たちの説を読ませてくれないのですか。面倒が省けるでしょうに…。

そなたはそなたなりの道をたどって結論に到達する方がよいからです。それから、それを他人の結論と比較すればよろしい。

– あなたの態度はいつもそうです。まわり道をさせられているように思えてなりません。仮りにあなたのおっしゃる通りだとしても、なぜこんなに長い間、私を誤謬の中で生きさせてきたのですか。

それは、すでに述べたように、そなたがその真理を理解する状態になかったということです。これまでの人生は、そなたが思うほど長かったわけでもないが、進歩のための周到な準備期間でした。その時点においては有益であり、進歩を促進するものでした。

が、それとても、より高い真理の理解へ導くための準備であったということです。今の段階についても同じことが言えます。いずれ将来において今を振り返り、この程度のことがなぜあれほどまでに驚異に思えたのであろうかと、不思議に思えることでしょう。

そなたの全存在である霊的生命は、常に進歩を求めます。が、その初期は、その後の発達のための準備期間にす

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