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【8/31】モーゼスの「霊訓」(中)第19節 スピリチュアリズムの真髄 akito-takizawa.com/2024/08/31/
贖罪(しょくざい)説は卑怯(ひきょう)な考えの産物

以上に見られるように、われわれは人間というものを、果たすべき義務と数かぎりない闘争の中を生き抜く一個の知的存在としてのみ扱っております。別の要素として背後霊による援助があり、数々の霊的影響の問題もありますが、ここでその問題を取り上げる必要性を認めません。

取りあえずそなたの視野に映り、そなたみずから検討しうる範囲内の事柄にかぎって述べてきました。又、われわれとしては罪なき神の御子、というよりは、神との共同責任者としてのイエスにおのれの足らざるところをすべて償わせるような、都合のよい言説は説きません。

1度の信仰告白によって魔法のごとく罪を消すという、かの贖罪説は説きません。卑しい邪悪な魂も、死の床にて懺悔(ざんげ)すればイエスがその罪のすべてを背負ってくれて、立ちどころに“選ばれし者”の中に列せられ、神の国へ召されるなどという説は、とても認めるわけにはいきません。

われわれは、そのような卑屈にして愚劣な想像の産物に類することは一切述べたことはありません。援助はあります。常に身近かにあり、いつでも活用できる強力な霊力が控えて

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