【8/29】モーゼスの「霊訓」(中)第17節 メッセージとメッセンジャー https://akito-takizawa.com/2024/08/29/spirit_teachings_chu_240829/
“私と父はひとつである”の真意
そなたが引用した文句は前後の脈絡の中において理解しなければなりません。その時イエスは、エルサレムでハヌカー祭(4)に出席していました。その折、そこに集まった民衆が“もしもあなたがキリストだと言うのであれば、その明確な証(あかし)を見せてほしい”とイエスに迫ったのです。
彼らは今のそなたと同様に、疑念を晴らすための何らかの“しるし”を求めたのです。そこでイエスは、われわれと同じく、自分が説く教えと、その教えによってもたらされるものの中に神のしるしを見てほしいと述べました。
同時に、それを理解するだけの備えのある者 – イエスのいう“父のひつじたち” – は、その教えの中に父の声を聞き、それに答えたのと同じことであると述べました。
が、質問者たちはそのような回答を受け入れることができなかった。なぜなら、彼らにはイエスの言っていることが理解できず、信じる心の準備ができていなかったからです。備えのある者はイエスの言葉にしたがって永遠の生命と進歩と生き甲斐を得ました。
それが神の意図するところであり、それを妨げることは誰にもできません。彼らは父の