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【8/15】モーゼスの「霊訓」(上)第9節 キリスト教神学の誤り akito-takizawa.com/2024/08/15/
信仰は形式より中身が大切

とくに神学上の教義の中でも特殊なものを扱うに当たっては、可能なかぎり除去せずに、新しい意義を吹き込むように努力します。なぜならば、そなたには理解できないかも知れませんが、信仰というものは、それが霊的であり生命あるものであれば、その形態は大して意味をもたないものだからです。それゆえわれわれは、すでに存在している基盤の上に新たなものを築こうとするのです。

とは言え、その目的の達成のためには、今も述べたように真理の芽を留めている知識、あるいは知性の納得のいくものであるかぎり、大筋においてそのまま保存するものの、他方、ぜひ取り除かねばならない誤った知識、あるいは人を誤らせる信仰もまた少なくありませんから、建設の仕事に先立って破壊の仕事もしなければならないことになります。

魂にこびり付いた誤った垢(あか)を拭い落とし、できうるかぎり正しい真理に磨きをかけ、純正なものにします。われわれが頼りとする人間に、まずその者が抱いている信仰の修正を説くのはそのためです。

さて、ここまで述べれば、今のそなたの苦悶のいわれが分かるはずです。われわれはそなたが抱いている神学上の見解を

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