【8/5】モーゼスの「霊訓」(上)第3節 “試練”の境涯と“無”の境涯 https://akito-takizawa.com/2024/08/05/spirit_teachings_jo_240805/
貴重な地上的体験
– 幼くして他界した子供は、一気に高い世界へ行くのでしょうか。
そういうことは有りえません。地上生活ならではの体験はけっして免除されることはありません。確かに、汚れを知らないという利点のおかげで“浄化のための境涯”はすみやかに通過できましょう。
が、体験と知識の不足は、それを補いそして鍛練することを仕事とする霊による指導を仰がねばなりません。ゆえに、地上生活を中途で打ち切られることは、このままでは魂の成長を遅らせて損失を招くのみ、と判断された場合を唯一の例外として、けっして得(プラス)にはなりません。
与えられた宿命に甘んじ、おのれの成長と同胞の福祉のために精を出し、神を崇(あが)め、神に奉仕し、背後霊の指導に素直にしたがう者こそ、地上生活を最大限に活用している人といえましょう。
そうした地上生活を送った者には改めて学び直すものはなく、したがって霊界での向上もすみやかです。魂の向上を妨げるのは、あらゆる種類のうぬぼれと利己心、無精(ぶしょう)と怠慢(たいまん)、そして、わがままです。公然たる罪悪と悪徳、それに偏見から真理の受け入れを拒否する頑迷固陋(ころう