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【8/2】モーゼスの「霊訓」(上)原著者まえがき akito-takizawa.com/2024/08/02/
しかし確実に言えることは、私に送られてきた通信の大部分は、私の頭の中にあることとはおよそ縁のないものばかりであり、私の宗教上の信仰とも概念上において対立しており、さらに、私の知らなかったことで、明確で確実で証明可能な、しかもキメ細かい情報がもたらされたことも幾度かあったということです。

テーブルラップによって多くの霊が自分の身元についての通信を送ってきて、それが後に確認されたことが多くの交霊会(10)でありましたが、私の自動書記によっても、その種の情報がくり返し送られてきました。

私はその通信のひとつひとつに議論の形で対処しています。そうすることで、ある通信は私にとってまったく新しい知識であることが明確となり、また別の通信では、私の考えとまったく異なる考えを述べる別個の知的存在と交信していることを確信することができるわけです。

本書に集録した通信の多くは、その本質をつきつめれば、多分まったく同じ結論に帰着するはずです。

通信はいつも予期していない時に来ました。私の方から要求して始まったことは1度もありません。要求しても、まず与えられませんでした。突如として、一種の衝動を覚えます。どういう具合にかは、

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