FF14 暁月 タレイア
ミソロジー・オブ・エオルゼア、終わった〜〜キッチリ代替わりの話だった〜〜
この話で一番私が思ったのは、昨日エウプロシュネの感想でも書いたけど、人の祈りって……ほんとうに人……ということ……
蛮神召喚のときに、祈りで歪められた「本来の神の姿」なんて本当はどこにもなかったんじゃ?という気持ちになった 人がどう在るかで神も変わるのだから 蛮神の考え方もけっこう変わってしまうね……
新生からガイウスさんが「十二神も蛮神」って言うとったけど、神に祈ることは身勝手で人らしくて、とても愛おしい行いだと暁月まで通して伝えられたような気がする。
もうひとつ思い出したのが、漆黒の夜の民の話で、夜空を見たルナルさんが「祈りはちゃんと天の暗き海に届いてた」って言うところ。
メーティオンがラグナロクに現れたとき、星や生命を無に生じた膿だと言ってたけど、ヒカセンの思い出を受け取ったあとは、星のない暗い海に差す光を綺麗だって言ってくれた。
夜空を見て何を思うかは心によって変わる。祈りが届いたかどうかは人の物差しで、祈りに神が応えてくれたかどうかも、また祈るように見つけていくものなんだと思った。空の果ての旅を経て、心によってとらえ方が変わることはもう知っている。
神が何をしてくれたのか。何のために祈るのか。
FF14 暁月 タレイア
ヴェーネスさんにちゃんと味方がいてよかったという気持ちになった 十四人委員会やアシエン、多くの古代人たちと違う道を選んでも、志をともにしてくれた人がいて、こうしてずっと人を見て愛してくれた すべて針の穴を通すような奇跡
アシエンたちが現代の人を受け入れられず古代を想い続けたのに対して、十二神たちはずっと現代の人を見守り祈りを受け取ってた どちらも気の遠くなるような長い時間を生き抜く旧き人々の忍耐力を感じる……
だからこそ現代の人は神々の手を離して自分の足で歩まなければならないんだね 小さい体と心に残されたちっぽけな祈りだけを携えて