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FF14暁月と自分の個人的な話と 

寝て起きてもまだぼんやりと疲れてて 流暢になにかあれがよかったとかこれがすごかったとか言える状態ではないんだけど
感想っていうより自分の話です

仕事柄、生きるのがしんどい人とか生きる意味がわからないとか死にたいって言う人に毎日のように出会いがちなんだけど、物語を受け止めながらそのことをどこかでずっと考えてた
5.4でファダニエルくんが出てきたとき、死にたい人とどう話したらいいかって話をしてくれるのかなって気持ちになってたことも思い出してた
4.3でこの世界に復讐しきって死なせてしまったことをたくさん悔やんだことも思い出した

死にたい人はこれまでたくさんたくさん諦めて諦められなくてでも諦めさせられて、その淵に立って終わりにしたいと願ってる 生きてることを愛したかったのに愛せなかった そんな人に何を言えばいいのか
運良く上手に生き延びられた側の人間が、生きてほしいって、諦めないでなんて言うのはとても残酷だよなって、FF14の旅の中でさえも何度も思った 私たちは本当の絶望を知らないからそんなことが言えるのでは?って
終焉でも言ってた わたしたちはこんなに絶望した果てで答えを得たのに違う答えがあるなんて認められないって 何も知らないくせにって全身で感じたよ

FF14暁月と自分の個人的な話と 

でもフィナーレまで終わってみて、死にたい人に、死にたい気持ちにどんな話をしたらいいのか、ここまで自分で歩いて潜って飛んで知ったから、やっと物語が応えてくれたと思った 生きて生きて生きないとわかるわけがない まだわかってなんかない わかろうとしてるところで足掻いてるだけ どうにか足掻いてるって言えるところまでやっと来られただけ

生きている人間が死にたい人間と話すには、絶望を否定してはいけない 終焉は、幸せがないのなら完璧な幸せとして終わりを求めてた 死にたい、終わりたいと言いながら、みんなどうにか幸せになろうとしてる 人間は幸せになろうとする力を持ってるから それがどんな方向に向かうものであっても

死にたい人に言えるのは あなたの絶望はあなただけのものだから、私はそれを肯定したいということ あなたが答えを探そうとするその姿だけで美しくいとおしいということ あなたと一緒に答えを探したいから、明日もあなたに会いたいという約束 祈り

FF14暁月と自分の個人的な話と 

メーティオンは皆を痛めつけたいとか苦しませたいわけじゃなくて、本当にヘルメスとその故郷のアーテリスを愛しているから、生と命から皆を解放したい、同じ想いを届けたい、苦しまないように終わらせてあげたいって思ってるところが、本当に重要なポイントだなってずっとずっと思ってた

そうであるなら、わたしたちがあなたたちの絶望も愛するという答えでしか戦えないよなって いつか来る終わりでも、その答えを出したあなたごと愛するから一緒に生きようと言うしかない その構図がとても素敵だと深く深く思った

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