@daihard 分かります。いわゆるコモンウェルス外から来た外国人留学生は一切のアルバイトも禁じられていて、年1回警察に出頭して現状確認・報告しなければならなかったですし、全日制の学生寮住まいでしたしテレビもないし余分なお金も、遊んでよい成績を出す余裕もなかったですから(何せ学部唯一の非英語圏外国人学生だった)、碌に旅行にも行かず、飲みにも行かず(当時は下戸だったし)、勉強詰めでした。とりあえず卒業さえすればいい日本の大学のシステムと違い、イギリスの大学では卒業時の Honour (ランク)で、同じ大学卒でも評価が違いましたしね (First classは逃しましたが、そのすぐ下の Second Upperでした)。映画も高くて観にいったのはせいぜい1回あるかないか、程度です。でも不思議なほど解放されて充実していた記憶しかないんですよね。遊べなかった、みたいなネガティブな思いは、あの当時から全くなかった。戻れるなら今すぐにでもあの当時に戻りたいです。
@yuril あああ、honours はこちらにもありました。オイラはさっき吹聴したとおり(笑い)満点に近い GPA だったので Summa Cum Laude (1st class) でしたが、就職のためのインタビューではよく言及されました。もっとも就労ビザが必要だったので、Honours のせいで就職が楽になったかどうかは分かりませんが…。オイラもネガティブな感情はまったくないです!
@daihard アメリカのGPAだと、はっきり何点、と点数がわかるんですよね。イギリスのはちょっと違って、まるっと First Class/Second Upper/Second Lower/Third と4段階に分けているので、アメリカ式のようにはっきり何点、というところまでは分からないんです。
ただ、Firstというのはその年の学部最高成績の学生が1人もらえるかもらえないかというレベルなので、そこから推測していただけると思います(苦笑。
まぁ、元々考古学部の試験って全て論文式で、正解と不正解がはっきり何点、と出しにくい学問なので、この評価システムでよかったと思ってます😆
@yuril @Narako うちは 4.0 (A) が最高でしたが、相方が行った大学は A+ があったと思います。オイラの頃は A(最上級)はクラスの何%くらいという基準があり、だいたい2〜3人でした。グレード インフレーションなんてあるんですねー。