昨夜読書イベント絡みでこちら、レマルクの “All Quote On the Western Front(『西部戦線異常なし』)” を観たのだけど、第一次世界大戦当時の話とはいえまだまだ未来ある若い青年たち、私の息子とほとんど年の変わらないような年齢の彼ら達が何故ああも嬉々として「戦争」に、殺し合いに行けたのか、私にはどうにも理解できなかった。
若さの至りとは言え、戦争の意味が、殺し合いに参加するということの意味が、彼らには全く分かっていなかったのか?何故分からなかったのか?そういう時代だったとはいえ「殺す」「殺される」事の恐ろしさは、ちょっと想像すればわかる事ではないのか?時代が違うとはいえ「殺し合い」の意味が、その言葉から受ける印象が、今と昔で大きく違うとは思えない。
途中で爆撃を受けて「家に帰りたい!帰りたい!帰りたい!!」と恐怖にパニックに陥る青年兵士の描写に、そして若い命を単なる銃の弾か何か程度にしか考えていない年寄りの将軍の描写に、暗澹たる思いがした。何人でも、人は人、なのだ。自分自身が爆撃されるまで、何故、それが実感として分からないのか。 #映画 #Fedibird