「自分が何者であるか分からない」という曖昧さのなかで生きることと、「自分は○○(何らかのマイノリティ)である」という確固たるアイデンティティを持って生きることのどちらがより大変か、答えなんて誰にも出せるわけないんだけど、自分はどこかで「はっきりとしたアイデンティティを持たずに生きている」ことに対して勝手に罪悪感を抱いていて、遅まきながらここ1年くらいの間にレズビアンコミュニティに顔を出すようになった。
でもそうしたらますます自分のことが分からなくなったし、全てのレズビアン(あるいはレズビアン以外の非ヘテロ女性)がそうだとは言わないけれど、シス性へのこだわりの強さ(界隈のボイフォビアやトランス女性への嫌悪感が激しすぎる)や恋愛ありきの交流の多さにうんざりすることも多くて、どのようなアイデンティティを持っている/持っていないにかかわらず、お互いの違いを尊重しながら対話できる友人のありがたさを身に染みて感じているところ。