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イエスは私を信じなさいと言って、イエスの言う真理に身を委ねることを口酸っぱく伝える。しかし、委ねる勇気は大変なことである。ユダは自らを頼みとし、自分の我を譲らなかった。しかし、イエスは自由にさせたのである。イエスは信じることを強制などしない。ただ信じなさいと促すだけである。そして、裏切ることも、シモン・ペテロが鶏が鳴くまで、三度知らないということも知っている。キリストは信じることを、躓かぬようにするように説く。神の愛はこれほどまで、人を愛されているのか。善行ではなく、掛け値なしに信じることが人間に示された神の赦しなのであろう。また神も掛け値なしに人を愛されているのだと思う。

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