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何者かになりたいイコール分類されたい、みたいな感じだろうか

今日は3時になる前に絶対に寝る

自己憎悪には気をつけたほうがいい

でも、何者かになるとかいう話しとはちょっと違ったかも。ずれたかも。ジョン・ナッシュは統合失調症を患っていたし、ゴッホは統合失調症だけでなく他の精神疾患や病気を患っていたし、2人には強迫観念みたいなものがあったはずだった。そういう次元の話じゃなかったかも

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何者かになれたという時って、やっぱり他人からの賞賛とか他人からの承認とかの、社会的地位の事だと思う。映画のビューティフル・マインド(数学者のジョン・ナッシュ)見てそう思った。ゴッホの場合は、不幸にも亡くなった後に絵画が多くの人に賞賛され始めて天才画家って言われるようになったし…

近くにある図書館は小さくて(あるのは本当にありがたい)、絵本とかフィクションの小説ばっかりだし

近場に大きめの図書館ほしいな

またこんな時間だ…最近日中の仕事に支障が出ることもあってどっちをとったらいいか悩む

価値は社会に依存している。人は社会に依存して生きているので、自分にとって社会的にメリットがあるものが価値になる。属するコミュニティ(社会?)が異なる場合、共感を得られないことは多いかもしれない。(また、価値は変動する)

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二足歩行になって人は最も難産で早産の生き物になった。脳が未発達の状態で生まれ、母体外で何年も世話をかけなければすぐ死ぬ。つまり人は未熟な生き物で助け合わなければ生きていけない種。『人が子供を育てるには、仲間が力を合わせなければならないのだ。したがって、進化は強い社会的絆を結べる者を優遇した(サピエンス全史)。』
だから沢山の言葉が生まれてきた。(戦争もしてきた)四足歩行のままなら沢山の語彙や言語の流通は必要なかったはずだけど、99.9%の生き物が絶滅してきたように人も絶滅に向かっている。

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なのに、人はアイデンティティ(人種、肌色、言語、宗教、思想、階級など)とかをきっかけに迫害や殺戮や拷問(正義の名のもとに)を行ってきた。自分が正義なら、(身内や被害者を守るような理由でも同じく)なんでもできるし、正当防衛になる。人は幸福追求をやめることはできない。望んでも望んでなくても、アイデンティティは家庭や土地の人間関係や属するコミュニティによって型にはめられ作られる。また、本質的な1つのアイデンティティを表明することを強いられる風潮が今の世の中にはある。でもアイデンティティはこれまでの生活から成る自分を構成する様々な要素なので、たったひとつに絞られるとは本当はない。

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人が幸福(自由)を追求するかぎり、迫害や殺戮はつきものだ。人が幸福を感じる時は決って自由を感じたときであり、自由を感じた時人は幸福を感じる、多分。人の思想やジェンダー観もトポロジーのように個人によって様々であり(男女二元論の否定)、帰属意識も『たった1つの本質』に絞ることはできない。そもそも人の帰属意識は複数あるものであり、その人を構成する要素の配布も変化する(矛盾的自己同一や、両親のどちらかが外国人とか、生まれと育ちの国が違うなど。)

なるべく人の足を引っぱったり邪魔したり妨害したりしない人間になりたいと思う

自分が社不って事以上に悪要素が強くてやばい

とにかく寝落ちするまでがんばるぞ

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