なのに、人はアイデンティティ(人種、肌色、言語、宗教、思想、階級など)とかをきっかけに迫害や殺戮や拷問(正義の名のもとに)を行ってきた。自分が正義なら、(身内や被害者を守るような理由でも同じく)なんでもできるし、正当防衛になる。人は幸福追求をやめることはできない。望んでも望んでなくても、アイデンティティは家庭や土地の人間関係や属するコミュニティによって型にはめられ作られる。また、本質的な1つのアイデンティティを表明することを強いられる風潮が今の世の中にはある。でもアイデンティティはこれまでの生活から成る自分を構成する様々な要素なので、たったひとつに絞られるとは本当はない。