BTの、「発端となった出来事を矮小化してその話が出来なくなる」空気が醸成されるしんどさ、すごく分かるし辛い。
差別に対して憤ると同時に自身の行動を省みる大切さも、誰かの行為の意図や内心を他者が決めつけることはできないのだから推測をもとに断罪すべきではない、という留保もすごく重要なことだけど、それらの意見がそもそも問題を軽視して「差別など存在しない」と主張する声にも寄与することになってしまう現状が本当に嫌になる。
元々の、その差別的行為を目撃した人の傷ついた気持ちやフラッシュバックが起きた辛さが置き去りにされてしまっていると感じる。
ウィル・スミスがクリス・ロックを平手打ちした時も、LIVE放送を観ていたら突然目の前で暴力が起きたあの瞬間はものすごい衝撃で、ひどく混乱したし恐ろしかった。
あの時中継を観ていた人はショックを受けたり気分が悪くなったりした人もたくさんいたのに、情報が広がってゆくにつれて暴力の是非を論じる流れが出来上がって、暴力を目撃した人の傷つきが蔑ろにされた時の気持ち、あの強烈な違和感が未だに忘れられないよ。
今回だって、目の前で起きたことへのショックや苦しさは無かったことにはならないし、そういう人の気持ちを取り上げたり、声を奪うようなことは絶対にしてはいけないと思う。